錫(すず)で日本酒をもっと美味しく!伝統工芸士が語る錫製品の魅力
大阪府にある大阪錫器株式会社は様々な錫製品(大阪浪華錫器)を製作している。社内には「現代の名工」である社長を中心とした4名の伝統工芸士が在籍しており、一つ一つ手作業で行われる技術は2023年開催の「G7大阪・堺貿易大臣会合」でのプレゼントにも選定されるなど世界的に評価が高い。
飛鳥・奈良時代に中国より伝わったといわれる金属・錫(すず)。
1000年を超える長い歴史において、古くより酒器としても使われ、日本酒とは密接な関係を持ち続けてきた。
しかし、時代が変わる中で関係にも新しい形が求められつつある。
本記事では、錫のプロフェッショナルたちに日本酒との関係や酒器の魅力をうかがいながら、伝統工芸の製作現場に迫る。
この方に話を聞きました
- 大阪錫器株式会社 代表取締役社長 今井達昌様
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プロフィール1958年10月16日生まれ。1999年に伝統工芸士の認定を受けた後、2001年に同社の代表取締役社長に就任。2012年には卓越した技術者表彰「現代の名工」を受ける。日常で利用される錫器から国際的なシーンまで、幅広い作品づくりに携わる。
大阪錫器のモノづくり
―大阪錫器株式会社の系譜を教えてください。
今井さん「江戸時代後期に錫屋伊兵衛が大阪に出てきて始まったのがスタートと聞いています。われわれの仕事はのれんを掲げて『何代目』と名乗ってやっておらず、親戚の間で代々引き継がれてきました。株式会社としての設立は1949年(昭和24年)です」
―現在の社員数は?
今井さん「社員全体で27名います。現場の職人は16名で、内4名が伝統工芸士です」
―主力製品は何でしょうか?
今井さん「タンブラーを中心に展開していますが、近年はチロリやぐい呑といった酒器関連も伸びています。また国際的な会議などで使用されるピンバッジや贈呈品、ブランドコラボ、企業の周年記念品といったものにも対応しています」
―海外展開もされているのでしょうか?
今井さん「われわれが直接アプローチすることはありません。錫は柔らかい金属ですので、3%は別の金属を混ぜて強度を高めています。それでも長年使用すると少しずつ形が変わっていくので、そういった修理にすぐ対応するため基本的には国内市場を想定しているんです」
1000年以上の歴史がある日本酒と錫の関係
―大阪は錫製品の生産が盛んなのでしょうか?
今井さん「現在は大阪が国内生産量のトップを誇ります。歴史的には貴族社会を中心にした素材であったので、元々は京都を中心に長年製造されていました。しかし、江戸時代に入り公家の力が衰えるにつれて、多くの職人が当時経済・物流の中心だった大阪へ移動してきたんです。1700年代後半には京都と大阪の錫製品の生産量が逆転して今に至ります」
―日本で錫が使われ始めたのはいつからでしょうか?
今井さん「一般的には飛鳥・奈良時代に日本へ伝わったといわれています。平安時代より、主に京都を中心とした貴族社会で使われていたようです。奈良の正倉院には錫を使った薬壷(やっこ)が納められています。当時はお茶が薬の扱いを受けていたので、今で言う茶壺と同義です」
―酒器としての錫の歴史について教えてください
今井さん「前述した通り、錫器は薬壺として伝わりましたが、並行して酒器としても使用されていたようです。錫は毒を入れると灰色に変色する性質を持っているので、危険を避ける意味合いもあったと考えられます。貴族は神社直系であることが多いため、それらの神社に奉納するための神酒徳利も古いものがたくさん残っています。
江戸時代以降に一般庶民へと広がり、酒器としての錫製品の生産は戦後に最盛期を迎えました。当時は錫のチロリをストーブや火鉢の上に置いたお湯に入れ、燗酒を楽しんでいたようです。
しかし、昭和40年代に電子レンジが普及するに伴い需要が急激に減りました。錫は電子レンジで使用できないため、それまで年間4万本生産していたチロリが、昭和50年代には1000本にも満たないほど低下したんです」
―今はアルミなど様々な素材を使ったチロリがありますが、当時は錫が主流だったんでしょうか?
今井さん「おそらくですが、昭和30〜40年代前半は錫のチロリが圧倒的だったと思います。弊社だけではなく多くの錫器メーカーも大量に生産していましたので」
錫で変化する日本酒の味わい
―錫が飲料に与える影響について教えてください。
今井さん「飲用水が貴重な地域では古くから錫の水差しが使用されてきました。紀元前1,000年以上前のエジプトの遺跡からそういった文化財が出てきたと文献で確認しています。錫製の花瓶にお花を生けると、通常よりも5割程度長く持つといった効果もあるようです。今でも大きなお寺の花瓶は内側が錫になっていることがあります」
―錫の酒器にはどのような魅力がありますか?
今井さん「お酒の味わいの角が取れて飲みやすくなります。錫はいろいろな素材とくっつきやすく、加工しやすい金属です。そのためお酒に含まれる雑味などを取り除いてくれるのではと考えています。お酒の味わいをワンランクアップさせるので、飲食店などで重宝されています。錫のチロリで温めたお酒は、その他材質のお猪口やぐい呑で飲んでも味わいの変化が楽しめますよ」
―やはり燗酒に適しているのでしょうか?
今井さん「熱伝導率が高いため、お燗にする時にすぐに温められる点は大きな魅力です」
―錫の酒器に適した日本酒は?
今井さん「辛口タイプを燗にして楽しむことが一番だと思っています。錫の酒器はお酒の味のアラを隠してしまうので、利き酒会において錫の酒器は『悪魔のぐい呑』と呼ばれているようです。そのため淡麗でキレイな日本酒の場合、味わいが少し隠れてしまうかもしれません。ある程度しっかりした味わいの日本酒で楽しむことがおすすめです。わたしは日本酒イベントや飲食店で日本酒を飲む時、自分の錫の酒器を持っていきます」
制作現場は職人の世界
取材後、社内にある錫器の製造現場と、過去の作品が並ぶ資料室を見せていただいた。
作品になる前の錫は10kg単位で保管されている。このインゴット一つでタンブラー40個を生産できる量になるそう。
溶かした錫を鋳型に流し込み、3分程度の時間をかけて固める。デザインは鋳型の内側に掘られているので、鋳型を外して完成に近づけていくという。
鋳型は再発注や修理対応に備えて保管している。鋳型の数は千を超えており、古いものは戦前にまで遡るという。
鋳型の製造は内製と外注の2パターンがあるが、外注のみで完成させることはない。デザインの漏洩につながる可能性があるため、仕上げなどの内容は自社内で行うそうだ。
この工房では徳利を削り、形を整えている様子が見学できた。基本的には手作業で進められており、高い品質を保っている。一つ一つの作品に向き合い作業する姿勢はまさに職人だ。
できたての錫徳利は眩しい光を放っていた。徳利の製造は錫器の中でも時間がかかると今井さんは話す。
また、大阪錫器では製作に使用する道具も作っているため、同業者からの修理依頼なども多いという。伝統工芸の技術だけでなく、関連する道具作りなども後世へ引き継ぐために重要となる。
徳利の持ち手部分には籐(とう)を巻き付ける。籐とはラタン家具等の材料に使用される素材である。
機械でできないので全て手作業。鋳型への錫の流し込み、デザイン、削り出し、仕上げとすべての工程が丁寧に行われる。大量生産品と比較して値は張るが、こうした作業を確認すると価格も気にならない。
新しい錫器製造と並行して、大阪市内の飲食店より持ち込まれたチロリの修理も進められていた。何十年と使われてきた錫器はまさに一生物だ。
工房の向かいの建物には、試作品なども含めた過去の作品が集められた資料室がある。自社製品だけではなく、国内外の他社製品も含まれており、ここから新しい作品のアイデアなどを構想するという。
昭和20年代には朝鮮戦争の影響により、軍事物資として利用される錫の価格が高騰したという。その際、錫器は京都の清水焼と融合させた作品作りを行った。伝統工芸の垣根を超えたコラボレーションは近年注目を集めているが、古くから行われてきたと今井さんは話す。
現在展開されている、錫器の外側に輪島塗を施した作品。錫器が日本酒に与えるポジティブな影響に加えて、表面のデザインも楽しめる。
錫から見る「伝統的酒造り」
―今後の展望について教えてください。
今井さん「伝統工芸士の数は年々減り続けています。友禅や紬といった糸ものの工芸品の製造現場には女性が多くいらっしゃるように、弊社にも20代の女性職人が数名在籍しています。男女問わず若い職人も多いですし、技術を継承できればと思います」
日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録された。今回大阪錫器を訪問したのが、奇しくも登録が決まった2024年12月5日であった。
伝統工芸である錫器で日本酒を楽しむことは、今後の市場活性化に大きく繋がってくるだろう。日頃の一杯をより贅沢なものにしてくれる錫の酒器。酒造りと共に後世に受け継がれていくことを願ってやまない。
ライター:新井勇貴
滋賀県出身・京都市在住/酒匠・SAKE DIPLOMA・SAKE検定講師・ワインエキスパート
お酒好きが高じて大学卒業後は京都市内の酒屋へ就職。その後、食品メーカー営業を経てフリーライターに転身しました。専門ジャンルは伝統料理と酒。記事を通して日本酒の魅力を広められるように精進してまいります。