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シンガポールの酒ソムリエ ジョシュア・カリナン 氏(Joshua Kalinan)が描くSAKEの未来、「Assemblage」という可能性

シンガポールを拠点に活動するマスター酒ソムリエ、ジョシュア・カリナン(Joshua Kalinan)氏は、東南アジアにおける日本酒普及の旗手。現在は、高級日本酒ブランド「HEAVENSAKE」の地域ブランド・アンバサダーとしても活躍中だ。地元航空会社での30年に及ぶワインとサービスの経験を経て、日本酒エデュケーター/コンサルタントとして新たな道を歩む氏が語る日本酒の魅力とその未来とは──。

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イギリス・ロンドンに本部を置く日本酒教育機関SSA(Sake Sommelier Association)から「2018年年間最優秀酒ソムリエ Sake Sommelier of the Year」に選出されるなど、シンガポールを拠点に世界的な活躍を見せるジョシュア・カリナン(Joshua Kalinan)氏(以下、カリナン氏)。

Instagramのフォロワー数は103,000人(2025年6月時点)と国際的な注目を集める同氏が、これまでのキャリアや日本酒に対する熱い想いをSake World独占で大いに語る。

出会いは「ひれ酒」

カリナン氏が日本酒と関わるようになったのは、今から30年以上前の1992年。
シンガポール航空に入社し、主にファーストクラスやビジネスクラスのキャビンマネージャー兼ソムリエとしてワインとサービスの教育を担当する中で出会った。

だが、世界各地の銘醸ワインに触れてきた彼にとって、当初はさして魅力を感じる存在ではなかったという。

「フライトのたびに東京の居酒屋に立ち寄る機会はありましたが、そこで見た日本酒は、今思うと『普通酒』ばかり。味わい的にもあまり興味をそそられなかったんです」

そう振り返るカリナン氏は、当時はソムリエとして「CWE(Certified Wine Educator)」の取得を目指していた。

これは、アメリカに本部を置くワイン教育機関「SWE(Society of Wine Educators)」が認定する上級資格。2013年、CWEの試験を受けるために訪れた東京でのある出来事が、カリナン氏の人生に転機をもたらすこととなる。

出張の夜、彼は東京のとある高級居酒屋で偶然「ふぐのひれ酒」に出会う。
炙ったふぐの香ばしさと、そこから染み出す複雑で奥行きある旨味が溶け込んだ特徴の燗酒。それを口に含んだ瞬間、彼は衝撃を受けた。

「これまで経験したことがない香ばしさと旨味を感じさせる香りで、それまで飲んできた日本酒とはまったく違っていたんです。口に含んだ瞬間、『これは今まで飲んできた酒とは違う!』と感じました。これは何かとても神秘的なものだ、もっと知りたい、そう強く思いました。」

東京の夜に受けた感動を契機として、日本酒について学ぶ決心をしたカリナン氏は、翌2014年イギリス・ロンドンに本部を置くSake Sommelier Association(SSA)の資格を取得する。
SSAは、2000年設立の国際的な日本酒教育機関。ワインソムリエの視点から日本酒を学ぶ実践的な講座と、ペアリングを重視したカリキュラムに定評がある。

シンガポール航空に所属するソムリエとして初めての日本酒資格取得者となったカリナン氏は、現地メディアの取材をいくつか受けることとなる。

「これは、有資格者として日本酒についてもっと深く知る必要がある」

そう感じたカリナン氏は、SSI(日本酒サービス研究会)の「唎酒師」、WSET Sake Level 3、日本ソムリエ協会(JSA)の講座などにも進んで取り組み、日本語の漢字も独学で学ぶようになった。
その成果が着実に認められ、2016年にはロンドン酒チャレンジの審査員としても招かれるなど、国際的な視点に加え、冒頭述べた発信力を築いていく。

コロナ禍を契機に

2020年、全世界的に猛威を振るったコロナ禍がシンガポールにも襲いかかる。
航空会社の乗務が停止していく中で、カリナン氏はオンラインでSSAやSSI唎酒師の教育コースを開催。中華料理やシンガポールのローカルフードと日本酒ペアリングの研究に多くの時間を費やした。

この中で、「SAKEを世界に広める活動に注力したい」という思いが芽生える。“交流”が再開された2022年、彼は30年間勤めたシンガポール航空を退職する決断をする。

「とても大きな決断でした。安定した給与、快適な職場環境、充実した福利厚生。それらすべてを手放して、ゼロから始めることになるのですから。それでも、『この快適な仕事を辞めて、飲料コンサルタントとして自分の会社を始めてみたい』という思いが湧き上がってきたんです。私は家族、特に妻と話し合って、この方向に舵を切ることにしました。」

独立当初は模索の日々が続いたが、やがて日本酒のペアリングディナーを主催するようになり、活動は広がりを見せるようになる。
2023年には、東南アジア初の国際酒品評会「Singapore Sake Challenge」をSSAと共に立ち上げ、共同議長を務め、翌2024年には160種を超える日本酒が出品される大規模な開催へと成長させた。

「HEAVENSAKE」との邂逅

そんなカリナン氏にとって、人生を一変させる出会いとなったのがHEAVENSAKEだ。

HEAVENSAKEラインナップ。 左から「Label Orange レジス・カミュ×浦霞酒造」、「Premium Junmai Konishi Junmai 12」(日本未発売)、 「Label Noir Junmai Daiginjo レジス・カミュ×新澤醸造店」、 「Label Azul 純米吟醸」、「Sake Baby! by Hakushika」 (日本未発売)

HEAVENSAKEは2016年に創業し、酒を混ぜ合わせる「アッサンブラージュ」の手法を日本酒に取り入れたプレミアム日本酒ブランドだ。シャンパーニュの名門「パイパー・エドシック」の元醸造責任者でもあるフランス人レジス・カミュ氏が創業者の一人であることからも、業界の話題を呼んだ。

純米大吟醸に特化し、[農口尚彦研究所][勝山酒造][小西酒造]などと連携し、酒質の異なる酒を芸術的にブレンドすることで、洗練されたスタイルと味わいを生み出していることが特徴のHEAVENSAKEは現在世界14カ国以上で展開。主に高級ホテルやミシュラン星付きレストランに採用されており、2024年10月には日本市場にも本格参入を果たした。
現代的なボトルデザインと英語による明快な表記を通じて、日本酒の国際的な可能性を広げる存在として熱い注目を集めている。

カリナン氏がHEAVENSAKEの海外事業総責任者、ザック・グロス氏から連絡を受けたのは2023年のこと。
「あなたを知っています。HEAVENSAKEを2本送ってもいいですか?」
とメッセージが届いたのだ。

家族と共に試飲したカリナン氏は、「綺麗な味わいで、私が求めていたスタイルの日本酒だ」と強く感じたという。
その後、地域ブランドアンバサダーに任命され、タイ・バンコクでのプロモーション活動に参加。さらに母国シンガポール市場の展開を依頼されるとともに、輸入業者の現地教育も一手に担うことになった。
2024年9月には、ミシュラン一つ星の和仏フュージョンレストラン「Whitegrass」にて初のペアリングイベントを実施して成功を収めた。

「アッサンブラージュ・SAKE」が持つ可能性

アッサンブラージュという手法と日本酒との出会いは、彼にとっては大きな衝撃だった。
特に「異なる蔵元の酒をブレンドして完成させるという意味で、まるで交響曲の編曲のような手法」に感銘を受けたそうだ。

続けてカリナン氏は、Sake Worldが取り組むアッサンブラージュ事業「Assemblage Club」や「My Sake World」にも深く共感しているという。

「特に日本の若い世代の人と話すと、『日本酒はオジサンの飲み物』なんていう言葉が出てきたりします。もったいない!アッサンブラージュしたSAKEは、若い世代にも、新鮮でスタイリッシュな魅力として届く可能性を秘めています。また、アッサンブラージュは、和食だけにとどまらず、フレンチやイタリアンをはじめとする国際的な料理とのペアリングにも広がる柔軟性をもっています。これは、日本酒の未来において非常に重要です」

カリナン氏は期待をふくらませる中で、『本質』についてこうも語る。

「1+1が『2』ではなく、『3』になるのがアッサンブラージュだと思うんです」

単なる酒同士の足し算ではなく、そこから新たな価値や品質が創造されるというのだ。実に希望に満ちあふれた言葉ではないだろうか?

課題を超えて、未来へつなぐ

“海外”を拠点にSAKEの普及につとめる中で、日本酒の抱える課題についても聞いた。

「日本酒がまだ『和食』の枠に閉じ込められ、漢字表記など言語の壁が国際普及の障害となっていますね」

こうした壁を乗り越えるために、英語表記の導入やペアリング教育の充実が必要だと訴える。

「世界中の料理との日本酒はペアリングできます。万能ですよ!」

そう熱弁するカリナン氏。和食に限らず、中華、シンガポール料理、さらには彼がルーツとするインド料理などともしっかり合うのが日本酒なんだと強調する。
「チキンライスやタンドリーチキンなどにも驚くほど合うんです!」とも語り、東南アジア・南アジアの食文化とも共鳴させる提案を積極的に発信している。

「baby -guling」として知られるバリ島名物料理の子豚の丸焼きと森喜酒造の「るみ子の酒 純米吟醸」のペアリング。「2時間以上かけてローストした子豚に、旨味と酸のバランスが絶妙なるみ子の酒が見事に調和。皮の香ばしさと脂のコクを引き立てる。

北インド風タンドリーフィッシュに、 「HEAVENSAKE Label Noir」。ほのかな甘みがスパイスの辛味をやさしく包み込み、絶妙な調和を見せたペアリング。

自身が今後目指していくビジョンは、「日本酒が世界中にある普通のレストランのワインリストに当たり前に並ぶ世界を実現すること」という。

「今後は、【ストーリーテリング】の手法を取り入れたマーケティングが不可欠です。『誰が、どんな場所で、どんな想いで造ったのか』という造り手の物語を伝えることで、飲み手にとっての日本酒の意味を深めたいですね」

「そのために、造り手たちの物語を増幅(Amplify)することこそが自らの使命と捉えています」と、カリナン氏は強く言い切った。そこには、単なる酒ソムリエを超え、酒を通して「人」を伝え合うという使命感が宿っている。

「The best is yet to come──最高の瞬間はこれからです」

その信念のもと、カリナン氏は、今日もまた新たな酒の物語を届け続けている。

ライター:山口吾往子(あゆこ)
酒ジャーナリスト。全国通訳案内士、国際唎酒師、日本酒学講師、WSET Sake Educator資格保持。2019年から大阪心斎橋でWSET Sake講座を英語で担当。日英で日本酒記事を執筆している。2023年WSET Spirits Level 3取得、スピリッツ関係執筆も。
(写真 Joshua Kalinan氏提供)

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