[滋賀/松の司]契約栽培100%の日本酒造り[松瀬酒造]松瀬社長にその背景と現状を聞く
米価格の高騰や気候変動、海外産米の台頭など日本酒の原料である「米」を巡る環境は、今までにないほど揺れている。そんな中、滋賀県竜王町の老舗蔵「松瀬酒造」は、1988年から全量契約栽培による“顔の見える米作り”にこだわり続けている。

1860年に滋賀県竜王町で創業した[松瀬酒造]は、鈴鹿山系・愛知川の伏流水を仕込み水に用い、全量契約栽培米による酒造りを行っている。1988年からは地元・竜王町に加え、兵庫県特A地区で山田錦を中心とした契約栽培を開始。1992年には全ての原料米を契約栽培に切り替え、現在までその体制を維持している。2002年には契約農家の全てが「環境こだわり農産物認証」を取得。翌年からは無農薬・無化学肥料栽培米にも注力し、環境意識の高まりとともに一層注目を集めてきた。
昨今は「令和の米騒動」と呼ばれる事象により、これまでになく「米」への関心が高まっている。海外産米も珍しくなくなった今、松瀬酒造は米造り、そして酒造りをどう考えているのか――その想いを取材した。
この方に話を聞きました
- 松瀬酒造株式会社 代表取締役社長 松瀬忠幸さん
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プロフィール1984年10月に松瀬株式会社へ入社、2005年11月に同社代表取締役に就任。2025年より滋賀県酒造組合会長も兼任する。
田んぼも造り手も分かっている米を買いたかった
―松瀬酒造が醸す日本酒のコンセプトは?
松瀬社長(以下略)「キレイな中にも味わいのあるお酒を目指しています。どの酒蔵も美味しいお酒を醸そうとしていますが、本当に美味しいお酒とは何かを考えていますね」
―滋賀県の酒質について
「竜王町周辺は1万年前までは琵琶湖の底でした。湿地帯の時代が長かったことから、多くの栄養が土壌に溶け込んでいます。滋賀県は野菜の味わいも濃いと言われますが、この土壌が原因ではないでしょうか。近江牛も脂が乗っていて味わい深い。その他地域の牛肉の味わいとは少し違うように感じられますね。こうした環境が滋賀県らしい、しっかりした酒質に影響していると思います」
―全量契約栽培に踏み切ったきっかけは?
「どこの誰が栽培したか分からない米を使いたくなかったという理由が大きいです。田んぼも造り手も分かっている米を買いたかった。ワインでは当たり前のことですが、日本酒でも同じことをするべきだろうと思いスタートしたんです。当初は兵庫県特A地区の山田錦から始まったのですが、地元の米であれば誰にも真似されない。それが一番価値があると感じて竜王町産にも踏み切っていきました」
―地元の農家さんは酒米を栽培されていた?
「いえ、ずっと食用米を栽培されている方たちでした。今はもう皆さんベテランになっていますが、当時は一から二人三脚で育てていきました。一緒に兵庫県に足を運び研修しつつ、JAによる指導も入ってもらいました。竜王町で初めての山田錦栽培でしたが、こういった背景もあり、比較的スムーズに進められたと思っています」
―酒米として山田錦が優れている?
「そうですね。我々が持っている酒米でも優れているなと感じます。また、山田錦の交配元である渡船は滋賀県発祥です。こういった縁もありますね」

▲竜王山田錦[土壌別仕込]とAZOLA50
―契約栽培を続ける上での苦労は?
「米の買取価格を釣り上げる方がいると困りますね。米の価格はお互いさま。米価格が上がると農家は嬉しいが、酒蔵としては困る。価格が上がっても上げすぎない変わりに、下がった時にも下げすぎないといった暗黙の了解が必要なんです。こういったバランスを取ってもらえる農家さんがいたので続けられたと感じています。世代を超えて長く続けるため、こういった信頼関係は大事です」
―無農薬米について
「もともとの栽培が減農薬からスタートしていたので、2003年に始まった滋賀県の『環境こだわり農産物認証』の条件に最初から合致していたんです。このタイミングで一部の米を無農薬に切り替え、『AZOLLA』をリリースしました。無農薬の取り組みは琵琶湖を守っていきたいという意識にもつながりますね。また、無農薬で米を栽培し、日本酒を造るというのは理想だと思うんですよ。
米なのではっきりとした違いを感じるのは難しいかもしれませんが、無農薬米の場合は出来上がった日本酒の香りが少しキレイになります。あと、酔いが少しマシですね(笑)」
自分達の米は自分達で栽培する
―気候変動による影響は?
「夏場の温度上昇により、高温障害(※1)は現れていますね。滋賀県の酒米である吟吹雪は特に症状がひどく、収穫量が激減しています。令和8年度からは新しい酒米が登場する予定ですので楽しみにしていて
※1:米が白く濁る、亀裂が入って割れやすくなるといった症状が現れる。酒造りの場合、お米が醪に溶けにくいといった問題も。
―食用米価格高騰の影響について
「比較的栽培しやすい食用米価格が上がったので、農家さんにとって酒米を作るメリットが無くなりつつあります。加えて、滋賀県では吟吹雪が低収穫になるため、県内の酒蔵にとっては非常に厳しい状況。普通酒などに使用する『加工用米(※2)』の価格も2.5倍程度まで値上がりしているので大変です」
※2:加工食品製造の原料として供給されるお米。

▲松瀬酒造の眼の前に広がる稲穂
―来期の造りにおける原料は?
「『令和の米騒動』の影響により、作付け時に予約をしていない場合、原料米を全く購入できないことも考えられます。たとえ予約していても、収穫量が減少した分については追加での確保はできない状況です。
近年は、滋賀県内の酒蔵が原料米の栽培に取り組む事例も増えています。滋賀県酒造組合としても、『原料米は契約栽培、もしくは酒蔵自身による栽培へ舵を切ってほしい』と伝えています」
ワインを知らないと世界で戦えない
―竜王町の土壌違いの山田錦シリーズについて
「現在の石田杜氏はワインに造詣が深く、彼の発案によってスタートしたシリーズです。少しづつですが、面白いという声は聞こえてきますね」
―土壌違いやオーガニック栽培など、ワイン的なアプローチが多いように感じられます。
「世界的に見ると醸造酒はワインが圧倒的。ワインを知らないと世界で戦えないと思っています」
―日本酒の熟成をどう考えている?
「もともとは3年程度寝かせて出荷していましたが、在庫の関係から現在は早出しになっています。今後は古酒として独立した商品の展開を予定しています。精米歩合50%程度の大吟醸を熟成させた、しっかりした味わいのものを出したいですね」
―熟成温度について
「熟成温度については3年間は5度で冷やして、4年目以降はセラー温度(12度〜15度)でもいいと思っています。松の司は丸3年経つと落ち着いてくるんですよ」
まとめ
米造りにおける契約農家との信頼関係や環境への配慮は、単なる原料調達ではなく、松瀬酒造の哲学そのものを映しているといえる。
気候変動や米価高騰など厳しい現実に直面する今も、変わらぬ品質を守るために挑戦を続ける姿勢は揺るがない。こうした取り組みは、日本酒を次の世代へと引き継ぐ力となるだろう。
ワイン的視点を取り入れた土壌別仕込みや熟成の探求など、日本酒の新たな可能性を切り開いている。地域の風土と蔵人の情熱が生む松瀬酒造の酒は、そして日本酒の奥深さを多くの人へと届けるはずだ。
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- 松瀬酒造
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滋賀♯滋賀♯酒蔵
ライター:新井勇貴
滋賀県出身・京都市在住/J.S.A認定 SAKE DIPLOMA・ワインエキスパート/SSI認定 酒匠・日本酒学講師
お酒好きが高じて大学卒業後は京都市内の酒屋へ就職。その後、食品メーカー営業を経てフリーライターに転身しました。専門ジャンルは伝統料理と酒。記事を通して日本酒の魅力を広められるように精進してまいります。
