酒蔵に聞く

【事業承継】160年の伝統を未来へ繋ぐ、若きメンバーの挑戦[葵酒造/新潟県]

160年以上の歴史を持つ新潟県の酒蔵を2024年12月、メンバー全員が30代というフレッシュなチームが引き継いだ。金融業界から転身した代表の青木さんを中心に、業界に新風を吹き込む、注目の蔵を取材した。

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長岡駅を出て川沿いの土手を歩くこと約20分。高く聳える煙突が見えてきた。大正時代に建てられ、国の有形文化財にも指定されている重厚な煉瓦造りの蔵が[葵酒造](旧高橋酒造)だ。
異業種から参入し酒蔵の経営を引き継ぐという大きな決断の背景、そして新たな地での初めての酒造りの様子について話を聞いた。

この方に話を聞きました

葵酒造株式会社 代表 青木里沙さん(左)、杜氏 阿部龍弥さん(右)
プロフィール

青木里沙さん:1986年三重県生まれ。国内外の金融企業で働いたのち、2021年に楯の川酒造(山形県)に入社。退社後、約1年半の準備期間を経て2024年、長岡市の高橋酒造を事業承継し代表を務める。

阿部龍弥さん:1991年山形県生まれ。高校卒業後、楯の川酒造(山形県)に入社。2017年から子会社の奥羽自慢(山形県)にて代表銘柄「吾有事」の製造責任者を務めた後、グループ内の別会社での勤務を経て、葵酒造に杜氏として参画。

金融業界からの転身とスペシャリスト集団

代表の青木さんは国内外の金融業界でキャリアを積んできた。なぜ酒造業界へと転身し、更には酒蔵の経営を引き継ぐことにしたのか。

青木さん「一時期シンガポールで働いていたのですが、コロナで日本に戻った時に今後の人生で何に時間を使いたいかと考え、元々好きだったお酒に関わりたいと思いました。海外で感じた日本の良さを世界に発信したいという想いもあって、日本酒を仕事にしようと思ったんです。」

その後、縁あって山形県の酒蔵で経営企画担当として働くうちに、いつか自身の蔵を持ちたいと考えるようになったそう。日本では新規の清酒製造免許の発行が認められていないため、新たに酒蔵を経営したい場合は既存の酒蔵を免許ごと買い取るしか方法がない。
在籍していた酒蔵に経営方針の変更があり退職せざるを得なくなったことをきっかけに、買い手を求める酒蔵を探し始めて約1年半後、新潟県長岡市で160年以上の歴史を持つ高橋酒造を承継することとなった。

そこで青木さんが相談したのが、同じく山形県の酒蔵で杜氏を務めた経験がある阿部さんだった。当時、グループ会社内の転籍により酒造りから離れていた阿部さんは、再び酒造りに戻るために転職を考えるようになっており、青木さんの話を聞いて心を決めた。人生をかける覚悟で酒造りに集中するため、家族を山形県に残して単身、新潟県へ引っ越した。

蔵の建つ長岡市の風景

そこに、三重県で米農家を営んでいた青木さんの実弟・魁人さんが米作りの担当として参画。さらに、大手広告代理店から酒蔵へ転職しその後ドイツで働いていた土居将之さんがマーケティングの担当として新潟県へ移住し、メンバーが揃った。各分野のスペシャリストが集まったチームについて、青木さんはこう振り返る。
「本当に不思議なのですが、たまたま全員のタイミングが重なりとても良いチームができました。今回を逃していたらそれぞれ別の道に進んでいたと思います。」

こうして2024年12月に新体制での酒造りが始まり、2025年2月、社名を[葵酒造]へと変更し新たなスタートを切った。

積み重ねた160年とともに

高橋酒造を引き継ぐことにした決め手について、青木さんはこう話す。
「土地の広さは拡張可能性に直結するので重視していました。他に、米の産地であることや寒い冬があることも酒造りの上で重要でした。首都圏からのアクセスが良いことや降雪があることは、観光に力を入れる時にプラスになると思いました。」

有形文化財に指定されている3階建ての蔵。内部はコンクリート造りで温度や湿度を安定して保つことができる。

ただ、長い歴史を持つ酒蔵を、異業種出身の若者が引き継ぐのは簡単なことではない。前職で事業承継の支援に携わっていたため、手続き面の抵抗はなかったが、自身の人柄や経営への想いを理解してもらい、信頼関係を築くことに時間をかけたという。
「オーナーの方とは1,2回会っただけでは信用されないと思ったので、何回も“こういうことがしたい”とプレゼンをしたり、時には一緒にお酒を飲んだりして関係を深めました。」

晩酌用のレギュラー酒が生産量の大半を占めていた高橋酒造から、モダンな味わいと高級感のあるデザインを特徴とした[葵酒造]へ。造り方は大きく変更したが、「創業から160年余り続いてきた酒造りの歴史が積み重なった中での、今年の一造りだと思っています。」と阿部さん。
青木さんも「蔵の建物や設備はそのまま使っているので、私達のお酒にもそのエッセンスは入っていると思います。」と答える。
「M&Aの目的のひとつは『時間を買う』ことだと言われ、それは事業を軌道に乗せるまでの時間を短縮できる等、一般的には未来に使うであろう時間を買うことを主に指していると思います。私達の場合は、蔵の歴史、過去に積み重ねた時間を含めて引き継いでいることに大きな意味があると思っています。」

地域の日常の風景に溶け込んできた、煉瓦造りの煙突

地域のシンボルとして愛されてきた酒蔵を引き継いだことを、地域の方は想像以上に喜んでくれていると感じるそう。実際に、筆者も取材のために蔵を訪れた際に、散歩中と思われる女性二人から「この辺りに住んでいる者ですが、応援していますと青木さんにお伝えください。」と伝言を頼まれ、地域の方の温かい想いに触れた。

山形から新潟へ。1年目の苦労

山形県から新潟県へ、環境が変わる中で、造るお酒の味に変化はあったのだろうか。阿部さんに聞いた。
「おそらく水の影響だと思うのですが、新潟で造ったお酒は苦味が少なく、余韻が少し短めでキレが良くなりました。自分が理想とする味をより出しやすくなったと思います。」

その一方で、初めての環境で仕込む1年目は苦労も多かった。
「設備が古かったので、一通り瓶詰めが終わるまでは色々とトラブルがあり毎回ドキドキしました。例えば蔵に移ってきた直後に、28年間ずっと使っていたボイラーが壊れて米が蒸せなくなったり、上槽の直前で圧搾機の板に穴が開いていたことが分かったりと大変でした。」

(写真提供:葵酒造)

そうしたピンチを、周囲の杜氏仲間にアドバイスをもらいながら切り抜けた。造りが終わる今春から設備投資を始める予定だが、全て最新型の機械に変えるのではなく、人の手が多く入ることによる「ゆらぎ」をあえて残したいという。「工業製品ではなく人間味のあるお酒にしたいと思っています。」

実験的な銘柄“Maison Aoi Untitled”

[葵酒造]として初の造りになる今年は、蔵や水の癖を見極め、今後の酒造りの方向性を模索するため様々な味わいに挑戦する。
そのための銘柄が“Maison Aoi Untitled”だ。味の判断を飲み手に委ねるため、あえてスペックは非公開とし、意図的にタイトルを付けないことを意味する名前を冠した。「日本酒を飲まない層にも届けたい」との想いからデザインやボトルにもこだわった。

澄んだ輝きが美しいガラス製のキャップはチェコから取り寄せた。「中身が大事なのは勿論ですが、体験自体を特別なものにしたかったんです」と青木さん。

取材時点(2025年3月24日)では、精米歩合違いの美山錦を使った01,02と、出羽燦々を使った03が発売済みだ。現在販売されているお酒を、阿部さんのコメントと共に紹介する。

Maison Aoi Untitled 03
「故郷の山形から取り寄せた出羽燦々を使って醸しました。優しいお米のニュアンスと柑橘の酸のアクセントが爽やかな、春にぴったりのお酒です。」

(写真提供:葵酒造)

Maison Aoi Untitled 03 UF
「UFとはUn Filtered(=無濾過)の意味で、03の限定版の生酒です。出羽燦々が生む優しく、どこか懐かしい味わいが特徴です。」

(写真提供:葵酒造)

“Maison Aoi Untitled”シリーズは、他の品種の米を使用した04以降の商品も今期に発売予定だという。

新時代のチームワークで拓く、酒造業界の未来

「好きなことを仕事にする」夢を実現し、多くの人の期待を背負い新しい挑戦を始めた青木さんに今後の展望を聞いた。

「短期的には、弟が借りる田んぼで春から米作りが始まるので、そこに力を入れたいです。まずは五百万石から始めてゆくゆくは様々な種類のお米を育てる予定です。」
また、国内だけでなく海外への輸出も既に見据えている。3月の「にいがた酒の陣」に合わせて開かれた輸出商談会では、早くも海外バイヤーから「会いたい」とオファーがあった。

青木さんの弟・魁人さんが三重県で作っていた田んぼの様子(写真提供:葵酒造)

一方、長期的には研修生を受け入れて蔵人として育てていく構想を持っている。自社に留まらず業界全体の発展に繋がる構想は、自身が蔵元になり高齢化の現実を肌で感じたことで実現への想いが強まったという。
「『よくこんな斜陽産業に来たね』と言われるのですが、当然そうではないと思っているから参入しました。私達が上手くいくことでこの先、業界に入ってくる人達が明るい未来を想像できたらいいなと思っています。」

阿部さんも「研修生に教えることは自分達の技術の向上にも繋がるので、積極的に受け入れたいです。」と意欲を示す。さらに造りについては「まだ漠然としているのですが」と前置きして、こう話す。
「業界全体では生酛や木桶など昔に戻る方向性があってそれも大切ですが、自分は先に行くようなことをしたいと思っています。それが製法なのか酒質なのかはまだ明確な答えが出ていませんが、奥が深い発酵の世界をもっと突き詰めたいです。」

写真撮影の際に集まった4人は、和気藹々とした雰囲気で終始楽しそう。そこに厳格な上下関係はなく、フラットに理想の酒について共に考え造っていく、酒蔵の新しいチームワークの形があった。

高橋酒造として培われた長い歴史の上に、[葵酒造]の新しい歴史が幕を開けたこの春。これからどんな物語が綴られていくのか、楽しみでならない。


ライター:卜部奏音

新潟県在住/酒匠・唎酒師・焼酎唎酒師
政府系機関で日本酒を含む食品の輸出支援に携わり、現在はフリーライターとして活動しています。甘味・酸味がはっきりしたタイプや副原料を使ったクラフトサケが好きです。https://www.foriio.com/k-urabe

葵酒造株式会社

葵酒造株式会社

創業
1854~1860年(2025年に旧高橋酒造から葵酒造へと社名を変更)
代表銘柄
Maison Aoi
住所
新潟県長岡市地蔵1-8-2Googlemapで開く
TEL
0258-32-0181
HP
https://aoi-brewery.jp/

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