“清く、旨く、笑顔の見える酒造り”富山魚津市唯一の酒蔵[魚津酒造]が灯す酒という明かり
「蜃気楼の見える街」と呼ばれる富山県魚津市。大正14年にこの地に創業した[本江酒造]が、2022年に[魚津酒造]として再スタートした。魚津市唯一の酒蔵を守るための歩み直しの2年について話を伺う。
富山県内計19の酒蔵のうち、魚津市唯一の酒蔵が[魚津酒造]。元々は[本江酒造]の名で大正14年に創業していたが、杜氏不在で継続困難な状態となったところを株式会社日本酒キャピタルが事業承継し、2022年に[魚津酒造]として再出発した。現在は、新たな[魚津酒造]を定着させるべくどのような取り組みをしているのか?魚津酒造・副社長である大津攻史さんを中心に、約2年間の歩みを伺った。
この方に話を聞きました
- 株式会社魚津酒造副社長・大津功史さん
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プロフィール大阪府出身。元はまったくの異業種で、IT業界に30年以上勤めていたそう。株式会社日本酒キャピタルの代表であり、現・魚津酒造社長の田中文悟さんと以前より親交があったことで、2023年から同グループ内の酒蔵である株式会社大納川を経て、魚津酒造の副社長に就く。身体を動かすことが好きで、趣味はジムでのトレーニングとのこと。
INDEX
「市内唯一の酒蔵を残したい」地域の想い実った事業承継
富山県魚津市唯一の酒蔵[魚津酒造]は、大正14年(1925年)に[本江(ほんごう)酒造]の名でこの地に創業した。立山山麓水系の良質な伏流水で醸した酒は、海の町に暮らす人々に愛され続けてきた。昭和31年(1956年)には、大火災「魚津大火」により一旦蔵は消失したものの、再建し地元で約100年の歴史を持つ酒蔵として存在している。
しかし近年、事情により杜氏が不在となる事態に見舞われ、酒蔵の継続が困難な状態に。「見よう見まね」で蔵人がなんとか酒造りを試みたがやはり厳しいものだった。そんな本江酒造について、相談を受けたのが、株式会社日本酒キャピタルの代表である田中文悟さんだ。これまで多くの日本酒・焼酎の酒蔵再建を手掛けてきた事業承継のパイオニアである田中さんだが、豊富な経験から当時の状況を鑑みると、二つ返事とはいかなかったそうだ。
しかし、そんな田中さんに熱意をぶつけたのが自治体や近隣の飲食店をはじめとした地元各所である。魚津の街から、酒蔵と“酒”という灯が失われないよう、との訴えに地元とのミーティングを経て、田中さんは「一緒に酒造りと街づくりのタッグを組む」ことを決意。2022年3月に事業承継が、2022年11月には田中さんを社長に据え[魚津酒造]の名でのリスタートが切られた。
「魚津」を冠に“街・ブランド・蔵人の顔”を浸透させる
再出発の際に[魚津酒造]と名前を変えたのは、やはり魚津に残る唯一の酒蔵であることを意識してのことだ。街づくりと酒造りを一本の「文化」として捉えたいという想いがここに表れている。再生にあたり杜氏を務めてくれることとなったのは、かつて30代で酒造りの世界に飛び込み、富山へ移住してきた経歴を持つ坂本克己さん。数々の蔵を手掛けてきた多忙な田中さんも、再建1年目はその蔵にほぼ常駐する形で蔵づくりと酒造りに加わる。本江酒造当時の蔵元であった宮内浩行さんもともに、ゼロからの歩み直しが始まった。
蔵や道具には徹底的な清掃を入れ、設備の整備や新規導入によって酒造りの肝となる製麴はもとより洗米から瓶詰め、火入れまで、おいしく清潔な「清く旨い」酒が造れる環境に整えた。
ウェブサイトもリニューアルし、個々の蔵人をフィーチャーしたものに。杜氏や社長だけでなく従業員の顔や人柄が見えることで、飲み手にブランドへの親近感と文字どおり“顔が見える”酒への安心感を抱かせてくれるのだ。
再建の要の酒は、主要銘柄「北洋」と特約店限定の「帆波」、加えて富山県内限定「蜃気楼の見える街」にブランドを絞って展開。アルコール添加なしの全量純米に統一した。また再建初年度はブランドの認知度を上げるため、それぞれの銘柄名のロゴを大きく前面に出したラベルデザインで酒をリリース。これは、まずお披露目としてブランドの認知度を上げるための田中さんの戦略でもある。
地元のメディア等各種媒体へも惜しみなく屈託のない笑顔を見せ、地域も巻き込んで「魚津の酒」とそれを造るチームの素顔を浸透させていった。
そんな怒涛の日々がようやく田中さんの思う“形”として安定し始めた2023年に、秋田県の人気酒蔵[株式会社大納川]から移籍したのが副社長の大津さん。「若い人のエネルギーと勢いがあった」という大納川と比べ「[魚津酒造]は穏やかで、いい意味で昭和や平成っぽさがある(笑)。落ち着きます」とのことで、現在はそんな大津さんも加わり合計8名のチームで同じ未来を見て進んでいる。
地元らしい酒「北洋」と、素材の持ち味を楽しむ「帆波」
海に生きる人たちに愛されてきた[魚津酒造]の酒。それぞれの特徴を大津さんに伺った。主要銘柄の「北洋」の名は、魚津港が北洋漁業の船団基地だったことに由来している。全国展開のブランドだが、そうはいってもあくまで“地場の酒”という意識だそう。毎日の晩酌に合う、飲む人に寄り添える飲み飽きしない酒であることを目指していると言う。その中にも、同じ発酵業の仲間として地元の味噌屋である「宮本みそ店」から分けてもらったという幻の米「亀の尾」を使用した純米酒といったチャレンジングな酒や、全量山田錦を精米歩合違いで仕込み、袋吊りで搾ったプレミアムなシリーズなどがあり、バリエーションも楽しめる。
一方、特約店限定の「帆波」は、甘みと旨みが豊富で酒本来のよさを生かした無濾過生原酒。大津さんによると、呪文のように“ムロカナマゲン”が流行した昨今以前から「田中社長の理想の酒」なのだそう。1か月毎に新しい酒を展開する「帆波」は、それぞれが米違い。酵母も使用米に合わせて選択され、素材の持ち味を楽しめる酒となっている。
すべての酒に共通しているのは「消費者が望むものを造る」という想いだという。
ちなみに、現状は造った酒をフレッシュにリリースすることに努めているが、在庫を少量、時間を置いて販売してみたところ「熟成でまた違ったおいしさが出ている」というお客さんの声もあったそうで、大津さんは「そういった別のアプローチにもまた、新たな芽があるかもしれない」とも語ってくれた。
地元団体や異業種とのこだわりのコラボも
「酒造りは街づくり」の一環として、地元の団体や異業種とのコラボにも意欲的だ。再建の第一弾では、杜氏の坂本さんたっての希望で、等外米を使用し地元の多機能型事業所の障がい者アートをラベルにしたコラボ酒「sonomama」をリリースした。それを皮切りに、果樹園や藍染め屋などの地元企業と協力したものを発売している。こうしたコラボ商品には、既存の酒がラベルを変えて使用される場合も多いが、大津さんによると、杜氏の坂本さんは「地元への想いが非常に強く積極的」。コンセプトに合わせた酒質設計をし、それぞれに思い入れを持って取り組んでいるのだそうだ。
「売りたいと思える酒」を売れる力をつけるために
再スタートから2年が経つ[魚津酒造]。大津さんに今後について伺った。
「いい酒を造るという方向性では、ある程度安定してきました。だからこそ、酒造りに関しては『造った酒をどう売るか』という筋立てよりも、飲み手のニーズを考え『こういう酒を売りたい・飲んでほしいから、それを造る』という意志を持って臨みたい。そして、今後はその酒を売るためのブランド力の強化やアイテムの整理が必要だと思っています。それから、味そのものをアピールできるような場所が少ないのも感じています。いつか、直売所などできるといいですね。そのためにはまず蔵の修復とさらなる酒質の向上です」
廃業の瀬戸際から今日まで、起きたできごとはここでは語り尽くせないほどであろうが、そのすべてが魚津の街に灯る“酒”という明かりを消さないための努力だったはずだ。
事実[魚津酒造]の酒は地元を越え、東京をはじめとした都市圏でも出合える確率がじわじわと着実に上がってきているという実感を、筆者も肌で感じる。街も丸ごと抱き込んだ、いわば“チーム魚津”の笑顔が見える酒が、全国の酒好きの知るところとなる日も遠くないかもしれない。
ライター :水戸亜理香
東京在住/日本酒・日本語ライター、日本語教師、日本酒テイスター
日本語と日本酒の「二本(日本)柱」で活動するライター兼教師。好きな銘柄は「やまとしずく」で、秋田県への愛が強め。
酒類以外の趣味は、ファッションと香水。保有資格:SAKE DIPLOMA・日本酒学講師・唎酒師・日本語教育能力検定試験