自然豊かな千葉県多古町で[鮭酒造]が目指す“みんなのための”「酒造りの自由」
自然の恵み豊かな千葉県・多古町にある「労働者協同組合 鮭酒造」が目指すのは、単なる“酒造り”ではなく「誰もが自由に酒を造れる場所」。キャリアもさまざまなメンバーが集い、初醸造の酒をリリースしたばかりの同蔵の想いを、現地に伺い聞いた。

成田空港から車で30分ほどにある千葉県香取郡多古町。首都圏ながら都市部とは一線を画し、田園風景の広がる自然豊かな地域だ。
この地で土地の開墾から米作り・酒造りまでの全てを自らの手で行うのが、2024年に設立した「労働者協同組合 鮭酒造」である。
6月に初醸造の酒『鮭』がリリースされ、長い旅路を踏み出したばかりの鮭酒造が目指すのは「酒造りの自由」。取り組みへの想いについて、現地に赴き迫った。
この方に話を聞きました

- 労働者協同組合鮭酒造代表理事・大橋誠さん(写真右)専務理事・市川菜緒子さん(写真左)
-
プロフィール<大橋さん>北海道札幌市出身。大学進学を機に上京し、卒業後は出版社に就職。居酒屋勤務時代に日本酒と米作りに目覚め、株式会社寺田本家や岩瀬酒造株式会社などで蔵人、杜氏として酒造りに従事。<市川さん>千葉県船橋市にある石井食品株式会社に新卒入社し、商品開発や広報など複数部署を経験。管理栄養士の資格を持ち、糠漬けアーティストとしても活動。
INDEX
遡上する鮭のように、豊かさをもたらす存在に
温暖で自然豊かな千葉県香取郡多古町を拠点に、2024年に5人のメンバーで設立された「労働者協同組合 鮭酒造」。なんとも耳慣れないワードがいくつも出てくるため、まずはその団体名について、代表の大橋さんにうかがった。
「労働者協同組合」は、労働者が経営者であり出資者という法人格。上下の関係が無いため、みんなが主役として活き活きと働ける組織なのだそう。組合員(所属メンバー)は大橋さんを含めて現在5名。それぞれ個性的なバックボーンを持つ面々が集まった。「一人ひとりの想いを花咲かせてほしい。この法人格ならきっとできるはず。」と語る。

事務所の入口には手作りのプレートが
多古町には10年ほど在住している大橋さん。元々同町には酒蔵が存在しなかったが、実は米作りが盛んな地域。
「せっかくいい米があるのに、多古町にはそれを活かす場がありませんでした。だからここに酒蔵を建てると言ったとき、町民がとても喜んでくれたんです。」
そして[鮭酒造]という個性的な名称だが、多古町には南北を貫くように流れている「栗山川」があり、この川の水が、多古町の米作りを支えている。
栗山川は、鮭が遡上してくる川であり、そうした川の太平洋側における南限にあたる。また多古町では、鮭は「神の魚」として大切にされてきた。
大橋さんには、地元の米作りと鮭、そして環境そのものが、栗山川で繋がって見えたという。「鮭のように、地球を豊かにする存在になりたい」それが鮭酒造という名前の由来だ。
専務の市川さんは現在多古町に移住し、地域おこし隊として活動中。地元のPRイベント等では、[鮭酒造]という名前に対して、「酒?サケ?」と聞き返されることが多いそうで、キャッチ-さは印象に残るようだ。

酒のラベルにも”鮭”が描かれている
想定外に導かれた酒造りへの道
大橋さんにとって、酒蔵を建てるという決断は、三つの想定外があったからなのだそう。
一つ目は、28歳のころに「ここで修行しろ」と東京・神田の居酒屋が日本酒居酒屋の名店で働くようになったこと。ここで大橋さんは、日本酒の美味しさに目覚めることになる。
「僕はあの居酒屋で、日本酒の素晴らしさと仕事の楽しさを知ったんです」
二つ目は、趣味で始めた米作りで、米が穫れすぎてしまったことだ。
友人らと始めた無農薬の米作りで、楽しくてつい面積を広げすぎてしまい、自分たちでは消費できない量の米が穫れてしまったという。
「どうしようか…」大橋さんが向かった先は、自然な酒造りに定評のある千葉県神崎町の酒蔵[寺田本家]だった。
「寺田本家は無農薬のお米しか使わない酒蔵です。僕がそこの蔵人となれば、きっとお米も買ってくれるのではという考えがありました」
やや不純な動機で酒蔵の門をたたいたが、結果、大橋さんは蔵人となり、お米も買っていただけることになる。ところがここで三つ目の想定外に遭遇する。
それは、酒造りが楽しくて仕方がなかったことだ。
「本当に楽しくて。寺田本家の酒造りはちょっと特殊で、酒造り用の作業機械がほとんど無いんです。蔵人が、とにかく身体を駆使して働く。なので毎冬、蔵人はもれなく肉離れを起こします。でも、本当に楽しかったんです。気づけば虜になっていました。」
大橋さんは寺田本家を離れてからも次の蔵、そしてまた次の蔵へと、三軒もの酒蔵を渡り歩くことになる。
「そして思ったんです。『誰かの酒を造るのはもういいや』って。自分が育てた米で、自分の思い描いた自分の酒を造りたいと思うようになりました」
楽しく自由な酒造りVS法律のジレンマ
ところが、大橋さんの想いの前に巨大な壁が立ちはだかる。「法律」だ。
日本酒造りは100年以上前から自家醸造が禁止。さらに一部を除いて「清酒製造免許」の新規取得が認められておらず、70年以上にわたり、新規参入がなされていない。
しかし、そこに転機が訪れる。
「自分の酒を造りたい…」そう模索していたころ、大橋さんは市川さんと出会う。
市川さんは食品メーカーに勤務し、発酵食品にも関心が深かった。たまたま二人で参加したセミナーで、衝撃を受ける。
「秋田県男鹿市のクラフトサケ醸造所『稲とアガベ醸造所』代表の岡住修兵氏のお話が素晴らしかったんです。創業からたったの二年間で、酒蔵以外にラーメン屋、宿泊所をつくり、酒粕からマヨネーズを開発し、今はオーベルジュまで作ろうとしている。その行動力、情熱が素晴らしいと感激しました。クラフトサケの醸造家は、歴史ある造り酒屋の蔵元と全然違うと感じましたね。」
クラフトサケとは、日本酒の原料(米・米麹・水)に、何かプラスアルファの原料を加えてつくったお酒。さらにクラフトサケは、「その他の醸造酒製造免許」を取得すれば製造が可能。
「よし、クラフトサケでいこう!」そう決めた二人。
市川さんは8年以上務めた会社を退職し、クラフトサケを学ぶために[稲とアガベ醸造所]への酒造り修行へと旅立つ。
一方大橋さんは、「僕は逆に考える癖があって…もし“酒造り”を合法的に誰もが自由にできる場所を提供できたなら、チャンスかもしれないと思ったのです。」
大橋さんは仲間集めに奔走する。
多古町出身で「自分の地元を元気にしたい」と町おこしの会社を起業した川口明美さん、元多古町の地域おこし協力隊で、小規模林業を志す佐藤貴英さん、大橋さんの高校時代の同級生の渡邊航さんの三名が加わる。「三人ともなかなかの変わり種です」と大橋さん。
「自分だけでなく、酒を造りたい誰もが酒を造れる新しい酒蔵を一からつくろう。」
こうして[鮭酒造]は動き出した。
“自然丸ごと”を酒で表現したい
「鮭酒造として、『うちの酒はこういう味』という型をつくるつもりはありません。なぜなら造り手ひとり一人に表現者としての自由があると思っているからです。ちなみに僕は、『田んぼ』を表現したいと思っています」
そう語る大橋さんは、自然豊かな環境で無農薬の米作りを続けている。
「僕の田んぼは生き物たちの拠り所。沢ガニが遊び、蛍が舞っています。年々、生き物たちが増えて、豊かな田んぼになっています。除草剤を使わないかわりに合鴨たちを放ち、雑草を食べてもらっています。手間はかかりますが、自然に寄り添って米を作れていることが嬉しく、収穫の秋には喜びがあふれます。この田んぼを丸ごと表現できたら嬉しいですね。だから、麹菌も酵母菌も購入せず、田んぼから採取したいと思っています。」
初醸造酒「生酛純米酒『鮭』」をリリース
[鮭酒造]では、2024年末にクラウドファンディングで支援を募り、その返礼品ともなった[鮭酒造]として初醸造の酒「生酛純米酒『鮭』」を、2025年6月にリリースした。
「あれ?純米酒?クラフトサケではないの?」と疑問に感じた方もいるかもしれない。実は現状[鮭酒造]にはまだ酒蔵がなく、多古町の建設予定地を現在開墾中。そのため、初醸造の酒は千葉県山武市にある[守屋酒造]の施設を借りる形で造られた。
酒米は、明治・大正期に千葉県でつくられていた在来品種「中生神力(なかてしんりき)」。大橋さんが無農薬で育てた。精米は超低精白の90%で、食べるお米とほぼ同程度の水準だ。
「この精米歩合で普通に造ると、当然酒の味わいは荒くなってしまいます。だから、大吟醸よりも低い温度で、じっくり長期間発酵させました。43日醪です。酒母は生酛造りです。やっぱり生酛が面白くて。」
昔ながらの生酛造りの酒は、現在のトレンドの味わいとは違う厚みがあり、滋味深い仕上がりとなる。
今回は、蒸米、麹、水を一緒にして摺り潰す「酛摺り(もとすり)」という作業を行わず、それらをビニール袋に入れて、ゆっくり時間をかけて溶かす方法を選択した。
櫂入れについては、「ほとんど行いませんでした」という。曰く、「雪の茅舎」で有名な秋田県の酒蔵[齋彌酒造店]で学んだことだそうで、酵母を信じ、ただひたすら待ちに徹する。
「何もしないのは、楽なようで意外とつらいんですよ。作り手としてはつい手を入れたくなる。それをぐっと我慢するんです。」
そうして待つこと43日。搾ったお酒を瓶燗一回火入れで仕上げ、「生酛純米酒『鮭』」は誕生した。慣れない他社の設備を借りた酒造りは、自身の考えと完全に合致とはいかない部分もあったが、それでも「なかなかにすばらしい酒ができあがった」と思える酒となった。
低精白特有の香りは残しながら、ほんのりと爽やかにも感じられる酸と、重すぎないボディが心地よいお酒。冷酒でも燗酒にしても、違った表情を味わえるだろう。
ただ、市川さんによると、今回製造した600本は、販売から1か月も満たない6月末をもって完売。
「来季はまた別の蔵で、第二弾の日本酒を醸造する予定としております」とのことだ。
地域一帯を共有財産に
2029年に酒蔵を開設することを目標に、開墾作業や米作りなどを続けている[鮭酒造]。
自分たちが酒造りをするだけでなく、酒を造ってみたいという人達にも門戸を開いて場所を提供し、造り方を知りたい人がいれば、ノウハウもオープンにしたいという。古からの門外不出、というイメージも強い酒造りだが、他の蔵に迷惑にならない範囲で情報は開いていくことを理想としている。それは、立ち上げのきっかけともなった「酒造りの自由」という構想からきている。
さらに、いずれは酒造りだけではなく、地域全体を巻き込み、酒蔵とその一帯をコモン(共有財産)にすることを将来的な展望に掲げる。
「東京でお金があればいくらでも楽しいけど、お金がなかったら全然おもしろくない。一方で、田舎に来ると本当に豊かなんですよ。東京では高価なものが、生えて生えてしょうがないから『誰かもらって(笑)』みたいな。その豊かさが大好きだから、それを丸ごと楽しめるエリアを作りたいんです」

合鴨の力を借りた自然の米作り
今回うかがった事務所のすぐ裏には、[鮭酒造]が米作りをおこなう田んぼが広がり、そこには合鴨農法で田んぼに放たれたカモのヒナたちがひしめく。生きて循環する自然の光景を目の前にすると、[鮭酒造]の描く未来予想図が浮かんでくるようだ。
ライター :水戸亜理香
東京在住/日本酒・日本語ライター、日本語教師、日本酒テイスター
日本語と日本酒の「二本(日本)柱」で活動するライター兼教師。好きな銘柄は「やまとしずく」で、秋田県への愛が強め。
酒類以外の趣味は、ファッションと香水。保有資格:SAKE DIPLOMA・日本酒学講師・唎酒師・日本語教育能力検定試験