キーマンに聞く

日本酒プロデューサー上杉孝久・みすず夫妻インタビュー 今後の日本酒が歩むべき道

「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録決定。日本酒も大きな注目を集めることが予想されるが、業界のキーマンはどのような心境か。日本酒プロデューサーとして長く活躍する人物にインタビューを実施。

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日本時間2024年12月5日未明、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の政府間委員会は、日本酒や焼酎、泡盛といった日本の「伝統的酒造り」を無形文化遺産として登録することを決定した。

「和食」は2013年の無形文化遺産登録を機に、世界各国への広がりを見せているが、直近10年間で輸出金額を約4倍の約411億円(2023年度)に増やしている日本酒業界にとっても、追い風にしてさらなる成長の機会となりそうだ。

そこで今回は、旧米澤新田藩上杉家九代当主であり、日本酒プロデューサーとして広く活動している上杉孝久氏と妻の上杉みすず氏に、登録が決まった5日当日に、日本酒業界の現状や今後の展望について話を伺った。

▲日本酒プロデューサー 上杉孝久さん(画像左端)

日本酒の輸出に向けた課題

――本日(12月5日)未明に、日本酒をはじめとする「日本の伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録が決まりました。

上杉孝久(以下、孝久さん)
「僕の元にも多くの連絡をいただいていて、とてもありがたいことですし、新しいマーケットに向けて日本酒の魅力を発信する絶好の機会です。
この業界に携わることになった1990年代初頭は、日本のバブル崩壊の影響により、それまで維持してきた酒蔵が次々と売却されて駐車場になってしまうケースが相次いていた時期でした。当時は4,000くらいの蔵がありましたが、今となってはもう約1,000程度ですから……。個人的には『持続可能な日本酒作り』をテーマに、業界を再編していくべきだと思っています。」

――近年は海外でも日本酒が人気を博していますが、日本酒業界がさらなる成長を遂げていくためには何が必要でしょうか?

孝久さん
「世界に向けて日本酒を輸出していくことを想定した際に、既存の蔵では規模が小さすぎる、それが一番の大きな問題です。
例えば、中国から『同じ銘柄の日本酒を毎月1万本輸出してほしい』と言われても、現状ではその注文に対応できる蔵はどこにもありません。海外でも日本酒が注目を集めるようになり、年々輸出額を伸ばしていますが、現在の輸出先は海外で営業している日本食のレストランなどが大半です。
僕の見解としては、諸外国の食卓に日本酒が並ぶような状況を作らない限りは、本当の意味での輸出産業にはなり得ない。それを実現させるためには、大手企業が合併するなどの方法で、売上一千億円規模の企業を作っていくことが求められるのではないでしょうか。」

――先ほど中国への輸出についてのお話がございましたが、今後中国人観光客の「爆買い」などにより、日本人が日本酒を飲めなくなるような状況も起こりうるのでしょうか?

孝久さん
「隣に巨大なマーケットがあるので、確かにそのようなリスクはありますが、長期的な視点で見ると、中国のマーケットで安定して商品を供給ができるような体制や、流通網の整備はどこかで進めていかなければならないでしょう。
実際に僕と妻の二人で、日本酒のルーツを探るために中国まで出向いたことがあって。内陸部にお住まいの方々も日本酒のことを知っていて、かなり高い関心を持っているんです。それこそ現地の方から、『自分たちも日本酒を作ってみたいから、製造方法を教えて欲しい』と言われたこともあります。」

――日本酒の蔵は「先祖代々守り抜いていくもの」というイメージがあるのですが、事業承継の現状についてはどのようにお考えでしょうか?

孝久さん
「無事に次の世代にバトンを渡した方もいらっしゃいますが、中には収益や事業承継の目処が立たずに、日本酒の製造をやめてしまう蔵もありました。
そこで新たな人材を起用したり、海外資本を入れるなどの方法で、酒蔵を存続させるケースが増えてきています。」

――新たに事業に加わる方をスムーズに受けいれるベースも整いつつあるのでしょうか?

孝久さん
「一部の地方自治体の方々は、もろ手を挙げて歓迎というわけではないのが現状です。海外資本についても、欧米系は歓迎しているのに、中国系が入ることに対しては強い拒否反応を示す方もおられます。実際僕も、ある時までは海外資本そのものが入ってくることに対して多少警戒心がありました。
ただ、海外資本が加わった蔵の酒が、世界各地の空港のVIPルームに置かれていて人気を集めているケースなども目にしています。
今後はユネスコ無形文化遺産の登録により、特定の銘柄を大量生産出来るような体制作りや、蔵を維持するための定期的な設備の更新なども求められるでしょうから、ビジネスの可能性を広げてくれる資本を入れることに関しては、個人としては賛成の立場で、『さらに門戸が開かれたら良いな』と思っています。日本酒が置かれた現状を踏まえると、私たちがビジネスに加わるにふさわしい人材なのかどうかを見極めたり、参入に興味を示す人々に向けて、日本酒に対する理解を深めてもらう体制を作ることが今後大切になってきます。」
――現在は、新しい蔵を作ることがかなり難しい状況にあります。

孝久さん
「おっしゃる通りです。なので、新規で参入を希望する事業者は、経営に行き詰まった蔵の免許を買い取ったり、既存の蔵に資本を入れるような形で事業に携わるんですが……、酒造免許のあり方や規制緩和についても、今後は議論が必要ではないかと個人的には感じています。」

「観光資源」としての可能性

――近年では、訪日外国人観光客も増加していますが、観光資源としての日本酒はどのような可能性を秘めているとお考えですか?

孝久さん
「ヨーロッパを旅した時に、ワイナリーを訪問される方もいらっしゃると思うのですが、日本の酒造はまだまだ閉鎖的な文化が残っている状況も垣間見えます。今回の登録を機に、気軽に日本酒の味や文化を楽しんでいただけるような土台作りは必要ではないかと感じています。

例えば、東京で『多満自慢』という日本酒を作っている石川酒造株式会社さんは、蔵の敷地内にレストランや宿泊施設も用意されていて、『日本酒のテーマパーク』のような環境が整えられています。休日には多くの家族連れで賑わっていてとても良い雰囲気なので、今後もこのような施設が各地に増えていって欲しいですね。」

――海外から来られる皆さんも、日本酒に対する高い関心をお持ちなのですね。

孝久さん
「そうですね。過去には米の産地としても知られるイタリア・ピエモンテ州の方が『米で酒なんか作れるわけがないだろう!』と言ってきて、ピエモンテ市長や議員、商工会の皆さんがわざわざ来日して、その製造方法を見て納得してもらったということがありました。我々にとっては当たり前のことでも、世界的に見ると穀物で酒が作れることに不思議さを感じる人もいらっしゃるので、実際に蔵に足を運んでもらって、非日常的な体験を味わってもらうことで、日本の特有文化として受け継がれてきた日本酒の魅力を知ってもらいたいですね。」

――日本酒に関する遺跡などにも、新たに観光客の視線が注がれることになるかもしれません。

孝久さん
「平城京のある奈良県には、かつて日本酒を作っていた遺跡がたくさん残っていて、それらを回ると日本酒への理解がより深まるのではないかと思います。また、温かい酒を飲んだり、正月に無病長寿を願って飲むお屠蘇(※)は、現在は日本にしかない珍しい文化です。(※もともとは中国から伝来した文化だが、王朝の滅亡などにより風習が途切れた)
そのような日本酒を軸にした文化や観光資源にも焦点が当たれば良いですね。」

――上杉謙信は「酒豪」として知られていますが、上杉さんもよく日本酒はお飲みになりますか?

孝久さん
「私が日本酒を飲むときは、つい仕事モードになってしまいます(苦笑)。『上杉謙信が酒好きだった』というエピソードはありますが、当時飲んでいた日本酒は今でいう『どぶろく』のようなお酒で、アルコールの度数も低めでした。現在のような日本酒を飲むようになったのは江戸時代の頃からだと言われているので、その点では『日本酒』と言いつつも、さまざまな形で変化してきていますよね。」

――お話を聞いていると、観光の観点でも海外からの受け入れ体制を整えなければならないのでしょうか?

孝久さん
「いずれ受け入れが求められるでしょうし、その勇気も必要になるんだと思います。
これまでは『英語が話せない』という理由で、外国の方を積極的に受け入れていなかった蔵もありましたけど、今はアプリなどを使えば簡単にコミュニケーションが取れ、壁も取り除きやすくなっています。
それに、日本に来られた外国人観光客の皆さんに『もう一度行きたい観光地』について尋ねると、『酒蔵』と答えてくださる方がとても多いです。日本酒を軸にした日本の伝統文化的要素を楽しんでもらう環境を整えていく必要はあります。」

女性が支える国内の日本酒ブーム

――近年では、日本国内でも日本酒が人気を集めています。

孝久さん
「もしかしたら意外に思われるかもしれませんが、日本酒に対して最も関心を寄せてくださるのは、20代の女性なんです。
かつての日本酒は“親父の飲むもの”というイメージがあって、ネガティブな印象をお持ちの方も多かったと思うんですけど、日本酒のイベントに来てくださるような女性の皆さんは、『ビールは苦いけれど、日本酒は甘くて美味しい』とおっしゃってくださる。そして気に入ってくれたお酒を知人などに広めてくださるので、マーケティングの面でもさまざまな形で貢献してくださっています。」

――日本酒のPRに貢献した銘柄として、旭酒造 (山口県)が製造している「獺祭」が挙げられます。年間売り上げは165億円(2022年)に及ぶとされ、その43%を占める70億円が海外での売り上げとのことです。

孝久さん
「会長の桜井博志さんとは旧知の仲ですが、桜井さんが成功を収められたのは『マーケティング』の概念を持ち合わせていたからだと思っているんです。
獺祭は『山田錦を使った純米大吟醸』を謳っていて、表示を見るだけで酒の良し悪しが一目でわかる。誰でも使う言葉でわかりやすく説明していることが、世界を跨ぐ大規模なビジネスモデルを作ることができた要因ではないかと思っています。なかなか真似の出来ないモデルですね。」

みすずさん
「少し話が飛ぶんですが、先日アフタヌーンティーの店舗を覗いてみると、可愛らしくデザインされた『お正月向けの和食器』のコーナーがあり、その中にお洒落なお猪口が並べられていたんです。価格も1,600円くらいでお手頃でしたし、酒器から日本酒の世界に興味をもったり、酒道具を揃えてゆく楽しみもあると思います。」

孝久さん
「たまに見られる枡の中にコップを入れて飲むスタイルは、もともとは大正時代の職人さんたちを発祥としていて、あまり品の良いものではないんです。服も汚れる可能性もあるので、女性はあまり好まないと思いますが、このようなお洒落な食器で楽しめるなら、より多くの人に日本酒への関心を持ってもらえるかもしれない。生活の中にあっても違和感がないデザインの食器を作ったり、お洒落な日本酒の楽しみ方を提唱していくことは、新たなマーケットを切り開く上でも大事な切り口だと思うんですよね。」

みすずさん
「先日お話させていただいた海外の方は「ワイングラスではなく、日本酒の酒器でお酒を飲みたい」とお話されていて。飲食店の方にも「ワイングラスの方がお洒落で、吟醸香が立ちやすい」という考えがあるかもしれません。しかし今は日本酒用に開発されたグラスもあります。器からも本来の日本酒の味わいを楽しんでもらいたいですね。」

孝久さん
「ちなみに、私たちは酒を飲むための道具をさまざまな方から集めていまして……。」


写真の酒器は九谷焼で作られた盃と盃台(はいだい)だという。日本古来の雰囲気も残しつつ、色鮮やかなデザインが印象的だ。

みすずさん
「日本の骨董品を探しに来られる訪日観光客の方も年々増えているんです。酒器や酒道具には美術品的価値のあるものも多く、骨董市で売られているアイテムをみているだけでも楽しめます。もしかしたらユネスコ無形文化遺産登録をきっかけにして、このようなジャンルにも注目が集まり、コレクターが増えていくかもしれません。」

世界遺産登録後に向けた提言

――ユネスコ世界無形文化遺産の登録後、日本酒をどのような形で発展していくことが望ましいでしょうか?

孝久さん
「まずは認知を広げていくことが大切ではないかと思います。
明治時代の『欧米列強に追いつけ追い越せ』の頃からの名残もあってか、かつて日本の大使館にはワインしか置いていない時期が長くあり、海外の首脳が大使館内で日本酒を飲めずに落胆したという話も耳にしたことがあります。最近は徐々に変わりつつあるようですが、今後は外交の場面でも日本酒の魅力を伝え、日本が誇る歴史的遺産の価値を広めていってほしいですね。」

――業界やビジネス面での成長についてはどのようにお考えでしょうか?

孝久さん
「日本酒業界では、価格の高騰に敏感な傾向があるんです。
最近こそ資材の高騰によって値上げせざるを得ない状況ですけが、多くの皆さんが『売れなくなるのでは?』という怖さを持っているので、まだ適正な値上げ幅には及んでいません。
そういった課題と向き合いながら、これからは日本酒の魅力を多くの人に伝えた上で、適正な価格で販売できる市場を作っていくこと。継続的に収益を生む構造を整えることが大切になっていくと思いますし、それにより設備にも投資が可能となります。
ユネスコの無形文化遺産指定を機に、日本酒製造が持続可能な産業となり、長年培った伝統を将来に繋いでいく土台を作ることができれば良いですね。」

ライター:白鳥純一
都内在住のフリーライターでもあり、行政書士もやっている人。辛めのお酒が好きなので、おすすめがあったら教えてください。
X:@JunSchwan

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