マレーシア初のマスター酒ソムリエに聞く!日本酒の魅力を海外で発信する工夫とは(後編)
マレーシア初のマスター酒ソムリエ、Danny Leong Ee Nung(ダニー・ロン・イー・ナン)さんは、マレーシアで日本酒の魅力を発信する様々な取り組みを行っている。Dannyさんが拠点とするクアラルンプールを訪れ、活動の詳細や今後の展望を取材した。後編では、日本酒の魅力を余すことなく伝える講座について深堀りした。

マレーシアで初めてのマスター酒ソムリエであり、日本酒と各国の料理とのペアリングイベントの開催や日本酒講座の運営を行っているDanny Leong Ee Nung(ダニー・ロン・イー・ナン)さん。
インタビュー前編では、日本酒と海外の消費者の接点となるペアリングイベントの取り組みを、「美しい表紙を作る」という印象的な比喩を使って語ってもらった。後編では、そうしたペアリングイベントでのポジティブな体験を経て、更に日本酒について知りたいと意欲を持つ人向けの日本酒講座の取り組みや今後の展望を中心に話を聞いた。
この方に話を聞きました

- THE SAKE PLACE Master Sake Sommelier Dany Leong Ee Nungさん
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プロフィール2018年に日本酒とマレーシア料理の店「THE SAKE PLACE」をオープン。現在はペアリングイベントと日本酒講座の運営に軸足を移し、「人々が日本酒について知りたい時や楽しみたい時の“場所”になれるように」との想いから同名の屋号で活動している。
酒造りで最も大切なのもの
―マレーシアで日本酒について教える講座を開いているとのことですが、受講生はどのような属性の方が多いのでしょうか?
Dannyさん「受講生の大半は一般の消費者か、レストランの接客スタッフです。マレーシアではシニアから若者まで、幅広い年代の人が日本酒に興味を持っています。
彼らは日本で美味しい日本酒を買って帰るために、『日本酒をどう注文すればいいのか』に関心が高いんです。ですので、そのために必要なラベルの読み方や日本酒のカテゴリー、酒米の種類、お酒に合う料理などの基本的な情報を教えています」

(写真提供:The Sake Place)
―そういった基礎的な知識があると、楽しめる範囲がぐっと広がりますね。講座では、他にどんなトピックを扱うのでしょうか?
Dannyさん「私が日本酒について教える時はいつも、『酒造りで最も大切なのは見えないもの達だ』と言います。つまり、酵母や麹菌といった微生物です。酒造りで重要なのは、彼らが造り手の求めるスタイルで働いてくれるよう、快適に過ごせる環境を整えることです。確かに杜氏は多くの要素をコントロールする力を持っていますが、本質的には微生物への理解を深めることが大切だと感じています」
受講生に伝える、酒蔵ツーリズムの効果
―訪日外国人観光客の増加に伴って、酒蔵ツーリズムも観光の選択肢として脚光を浴びつつあります。
Dannyさん「私の講座でも『既に日本酒を楽しんでいるなら、是非日本で酒蔵を訪ねてみてください』と伝えています。知識を学ぶだけではなく、実際に蔵人と会うことで『ああ、これが酒造りなんだ』と実感できるからです。
例えば、現場を知らないと『米を洗うなんて簡単でしょ?』と思うかもしれません。でも、冬場に米を洗う時の水は指先が痛くなるほど冷たい一方で、麹室の中はまるでサウナのように蒸し暑い。
そんな極端な環境を少しでも体験すれば『これは本当に大変な仕事だ』と理解できるはずです。こうした経験は、日本酒をもっと好きになり、それぞれの酒蔵について深く学ぶきっかけになると思います」

上級酒ソムリエのコースの一環で、酒蔵での実習も経験した(写真提供:The Sake Place)
「ワインのようになろうとしなくていい」
―酒蔵を訪れて日本酒への理解が深まることで、帰国後も更に様々な種類の日本酒を飲んでみようと思ってもらえる可能性がありますね。マレーシアの日本酒市場はまだまだ伸びしろがありそうですが、輸出を増やすために酒蔵ができることは何だと思いますか?
Dannyさん「一番大切なのは、日本酒のアイデンティティを変えないことです。ワインのような香り高いお酒を造ることは、日本酒の個性を奪ってしまいます。日本酒はそれ自体で完成しているので、他のもの、例えばワインのようになろうとしなくていいんです。日本酒はまだワインの枠組みで語られることが多いと感じますが、個人的には反対です。
一つ例を挙げると、海外では日本酒がワイングラスで提供されることが多いです。ただ、ひとたびワイングラスを持って『ワイン・モード』に入ると、ワインの評価軸でしか考えられなくなりがちです。
ワインは果実から造られるので、その香りは基本的にはポジティブで誰でも好印象を持ちやすい。一方で日本酒は米の発酵から生まれるので、発酵臭になれていない人にとっては良い香りだと感じられないんです。ワイングラスは『香り』を強調する形状なので、このようなワインにとってアピールとなる要素を、そのまま日本酒に当てはめてしまうことになります。それでは日本酒の本質を正しく判断することは難しい。日本酒の美しさと独自性は、米の旨みと仕込みに使われる柔らかな水にあり、それは口の広いグラスで飲むとより一層引き立つのです。

インタビュー前編で取り上げた、グラスによる香りや味わいの変化のデモンストレーション
正しい知識があってこそ、きちんと評価ができる。それが、私が講座を通して日本酒の教育を広めている理由です。本当に難しく時間がかかることですが、酒蔵の方々はもっと大変な仕事をしています。彼らの生活は、造るお酒の成功にかかっているのですから。だからこそ、私も消費者を正しい方向に導きたいと努力し続けていますし、それを楽しんでいます」
確実に表れ始めた成果
―ここまでお話を伺った中で、日本酒を心から愛し、その魅力を伝えるために尽力されているのだと感じました。これから挑戦したいことは何かありますか?
「個人的なことでは、自分でブレンドした日本酒ブランドをいつか作りたいと思っています。重すぎず軽すぎず、料理の初めから終わりまで一本で合わせられるお酒です。温度を変えることで、飲み手が異なる体験ができるお酒が理想ですね。
日本酒の魅力を広めるという意味では、GI(地理的表示)制度が示すように、各都道府県のアイデンティティ-土地ごとの気候や米といった独自性-をもっと伝えていきたいと思います。
同じ純米大吟醸というカテゴリーでも、地域が違えば全く異なる味になります。例えば、九州のお酒はアルコール度数が高く力強い味わいのものが多いですが、それは焼酎を飲む文化と関係しています。こういった地域ごとに個性のあるお酒を味わう体験を重ねると、『日本酒ってこんなに幅広いんだ』と気づくでしょう。

昨年は新潟県を訪れ、県産日本酒を紹介するプロモーションを実施した(写真提供:The Sake Place)
最近、マレーシアでは日本酒に関する動きが活発になっています。『ペアリングイベントを別の地域でもやってくれませんか』とか、『友達にもっと日本酒を知ってもらいたいです』といったメッセージが私の元に届くようになりました。数年前までは、本当に難しかったんです。日本酒を和食以外の料理と合わせようとしていたのは私だけでした。
新しいことをやろうとする時、初めのうちははなかなか受け入れられません。ただ、何度も繰り返して努力するうちに、人々の目に触れて段々と当たり前になってきます。マレーシアではそのモメンタム(勢い)が表れ始めています。これまでの取り組みに対して少しずつ、でも確実に成果が出て来ていると感じています」

二人三脚で日本酒を広める活動に取り組んできた、妻のSamantha Yin(サマンサ・イン)さんと
3時間以上に及ぶインタビューで、日本酒への熱い想いをたっぷりと聞かせてくれたDannyさん。インタビュー前編では、日本酒を学び始めた経緯や、和食の枠を超えた世界各国の料理とのペアリングイベントの秘訣に迫った。後編では、日本酒講座を通して受講生に伝えたい想いや、これまでの取り組みが実を結び始めている現状、そして今後の展望について聞いた。
「知ることで、造り手への感謝の気持ちがより大きくなる」と語るDannyさんは、今も貪欲に知識を吸収し、様々な料理とのペアリングの腕を磨いている。Dannyさんの活動は、InstagramとFacebookの@thesakeplaceでチェックできる。この先も、日本酒と共に過ごす楽しいひとときと確かな知識を、マレーシアの人々に提供し続けていくことだろう。
ライター:卜部奏音
新潟県在住/酒匠・唎酒師・焼酎唎酒師
政府系機関で日本酒を含む食品の輸出支援に携わり、現在はフリーライターとして活動しています。甘味・酸味がはっきりしたタイプや副原料を使ったクラフトサケが好きです。https://www.foriio.com/k-urabe