地域の酒

アメリカ人が巡る九州酒文化の旅(前編)
九州は日本の酒文化の縮図なり

「酒蔵ツーリズム」という言葉が登場するほど、近年「酒」を題材にした観光が人気を博している。本稿では旅するソムリエ岸原文顕氏が、九州の地にてアメリカ人観光客に実施したツアーの様子を紹介。

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今回筆者がアテンドを依頼されたのはアメリカ・カリフォルニアからのゲスト3名。
彼らは母国をはじめ、世界各国のワイナリーやバーボンウイスキー蒸溜所に足を運び、現地の酒文化に触れて来たお酒好き。
訪日経験も7,8回にも及び、各地の酒蔵を訪れて日本酒を楽しんで来たそうだが、九州は今回が初めて。“未踏の酒地”にて、新たな酒文化体験の旅が始まった。

福岡県福岡市:アジアに開いた都市の鼓動と百年の香り

九州に初上陸した彼らの旅のはじまりは福岡県福岡市博多区。中心街である中洲川端商店街を歩けば、商人の町の歴史の趣と、地元の活気が肌に伝わる。
400mも続く長い商店街を抜けた先にあったのは櫛田神社。境内にそびえ立つ巨大な飾り山笠は、毎年7月1日から15日にかけて開催される「博多祇園山笠」で用いられる。開催期間中、山笠を担ぐ男たちは酒を断つのだと伝えると、禁欲的なしきたりに関心を持った。

散策後、九州での最初の夕食は、玄界灘の海の幸を贅沢に味わえる老舗料理店。旬の刺身や焼き物を九州の地酒とともに舌鼓を打つ。

「博多百年蔵」(石蔵酒造)

人口167万人を誇る福岡市内には、酒蔵はただひとつ「石蔵酒造株式会社」が存在する。
国登録有形文化財にも選ばれる「博多百年蔵」は、現代的な街並みの中に築155年の石造りの大きな土蔵が佇み、背後に昔ながらの赤レンガの高い煙突がそびえる。
石蔵酒造は元々、黒田家御用商人「石蔵屋」に始まり、江戸期は海運業、後期に酒造へ参入。幕末には高杉晋作や西郷隆盛らの密約の場となったというのも興味深い。

大きな暖簾をくぐると、木の香りと発酵のやわらか気配が漂う。古井戸のある中庭の渡り通路の壁には、酒米や醸しへのこだわり、酒蔵の歴史が説明されていて、彼らはひとつひとつに目を通す。

さらに奥にすすむと、通年で醸す複数の酒が試飲可能。小仕込み、福岡県糸島市産の酒米と「千代の松原水」で造られた搾りたての純米生酒に、ゲスト「フレッシュでピュア!味わい深い」。
ひとつひとつじっくりと、全品種のうま味と甘味を愛でていた。

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福岡県岡垣町:三酒(種)の醸造が交差する地

博多から北九州方面に向かうこと40分、JR海老津駅で下車し車で15分ほど海辺に向かうと、名水と風土が育む“醸造酒の聖地”福岡県岡垣町がある。
人口約3万人の静かな町には、ワイン・クラフトビール・日本酒の醸造蔵が半径250m圏内に集う。それぞれが個性豊かで、後述する名水と肥沃な土壌に支えられ酒造りへの情熱が息づいている。

七曜酒造:水に生かされ歩み続ける酒蔵


木綿間山(ゆうまやま)の坂道をしばし上って行き麓にひっそりと建つのが「七曜酒造」。
木綿間山は古くは万葉の歌にも詠まれた優雅な姿の山で、その青い嶺の山裾はそのまま海につながり、玄界灘と響灘を隔てる海境になっており、山腹の寺の境内には「海境の光に屹ちて青き嶺」という句碑が立っている。

では、この山のふもとになぜ七曜醸造所があるのかというと、安政元年(1855年)に製蝋精油の生業を営んでいた星隈慶次郎が酒造業を開始して以来福岡県みやま市で酒造りが続けられて来たが、現在の醸造家たちが更に清純な仕込み水を探し求めているうちに岡垣の名水「清水湧水」に出会い醸造所を移転したという。蔵元の七曜酒造株式会社岸川社長によると、木綿間山の花崗岩質の地層を雨水が長い年月をかけて地下深くに浸透し自然に濾過された地下水は、カルシウムやマグネシウムなどのミネラルを程よく含んだ軟水なので酒がまろやかでクリアになるそう。

では、社名にある「七曜」の由来は?
岸川社長によると、玄界灘に面した岡垣は北緯33〜34度に位置していて、秋の夜、近隣の波津の海岸から星空を見上げると北斗七星が水平線すれすれに並び、さながら天のひしゃくが海から水をくんでいるように見える。これが見られる場所は世界でも珍しく「北斗の水くみ」と呼ばれる。その夜空に浮かぶ“北斗七星”にあやかって、社名を「七曜」と名付けロゴデザインは七曜紋としたとのことだ。

銘柄を試飲していく中で、「トンっ」というユニークな名前のお酒があった。
ラベルには墨字の黒一点のみ。書道の筆遣いは「トンっ スーっ ヤぁ!」と発声し、「トンっ」は決意と始まりの象徴だそう。酵母「まほろば醇」で醸された酒は力強く華やか。一通り試飲を終え、ゲストはアメリカに持ち返る酒を吟味して数本購入し玄関で記念写真を撮った。

ところで、「内浦地区」では、日本酒の他にワインやクラフトビールの醸造所が集結する。区内には防砂林があり、すぐ先にある海辺では古くから農業と漁業が共存する地域であり、季節の野菜と旬の魚介と美酒とのペアリングが楽しめる。酒文化好きにとってはまさに“酔いの聖地”といえる。情熱溢れる造り手が常駐する三種の醸造酒の酒蔵を歩いてでも巡れるという贅沢さ。名水と土壌が育んだ桃源郷はゲストの五感と胃袋を満たしてくれる。

福岡県北九州市:「角打ち」文化発祥の地

以前筆者は、北九州市の「角打ち」酒屋を取材したのだが、ゲストは訪日前にその英訳記事を読み“KAKU-UCHI”というのをぜひ体験してみたいとリクエスト。私にとって故郷でもあるこの街を案内した。

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林田酒店:老舗蔵元「林龍平酒造場」アンテナショップ

小倉駅から歩いてほんの数分、林田酒店の扉を開けると、店主の林田直子氏がはじけるような笑顔で迎えてくれた。
林田氏は、アメリカで大学院を卒業後米国公認会計士としてシリコンバレーの監査法人で約11年キャリアを積んでいたが、父正義氏の死を機に帰国、母の法恵氏と店を守ると覚悟を決めて家業を継いだ。現在は4代目店主として、「九州菊」「残心」を中心に地元の酒文化を広めている。
ゲストがカリフォルニアから来たことを紹介すると、早速流ちょうな英語で「酒米には『山田錦』に加え『夢一献』や『夢つくし』を使っていて福岡らしい個性が楽しめる純米酒・・・」と造りのこだわりについて説明が始まる。カウンター上には自社酒蔵の全商品を載せた英語版のテイスティングマップが置かれ、海外から来る方々に、日本酒の味わいが様々ということをビジュアルで見せることが大切だと言う。

「残心」という日本語は武芸に通じる言葉だという話を聞きながら、グラスを重ねるごとに、カウンター越しに独特の温かい交流が広がっていく。
これこそが「角打ち」文化の真骨頂。国境や国籍を超える人情が深い余韻や味わいを心に残し、旅の記憶として刻まれたようだ。なお当日、偶然にもテレビ局が角打ち文化を特集する番組の収録をしていたのだが、ゲストと店主母娘が交流する印象的な光景が後日放映されている。最後のシーンは、ゲストがスマホで撮った店主母娘の笑顔の写真だった。

熊本県熊本市:「赤酒」文化の地

九州新幹線が開通し、博多駅からほんの40分で到着できるようになった熊本駅(熊本県)。駅から南へ約5km、車で20分ほど走ると川尻地区に着く。かつて肥後藩の物流拠点となる船着き場があり、薩摩街道の宿場町として栄えた場所だ。堂々と続く同社の白壁の屋並みは、当時の面影を今も色濃く残している。

瑞鷹株式会社:熊本初の清酒造り挑戦の歴史

この地にあるのが瑞鷹株式会社。縁あって、今回訪問することになった。
大きな杉玉がかかる玄関で吉村朋晃社長に迎えられて、早速、土地と独自の酒文化、そして熊本にて初めての清酒を造ろうとした初代・吉村太八から始まる社史について話を聞いた。

吉村社長によると、熊本には「肥後の赤酒」と呼ばれる地酒があり、醸造した醪(もろみ)に腐敗防止のために灰を混入させて造る。正月のお屠蘇はじめ土地の儀式での飲用だけでなく、郷土料理に欠かせない調味酒として地元で長く親しまれてきた。
料理人たちのアドバイスをもとに改良された「料理用赤酒」は、いまや全国の腕っこきの板前や調理師が重宝。ちなみに、熊本では元旦に飲むのはこの「赤酒」が定番であり、日本の他の場所でも元旦には赤酒を飲むのだろうと思い込んでいる熊本の人が多いのだそう。


江戸時代、熊本では他藩の酒は「旅酒」と呼ばれ、持ち込みが禁じられていた。だが明治維新を境に酒の流通が自由になると、県外の清酒が流れ込むように。やがて人々の嗜好も伝統的な赤酒から清酒へと移り、瑞鷹はじめ熊本の酒蔵は大きな転換期を迎える。

酒質をさらに良くするために品質改良が必要だという声が高まり、酒造研究所の設立が提案される。そこで手を挙げたのが瑞鷹で、自社の蔵の一角に研究所を設けた。
つくられた酒はすべて引き取る覚悟で臨んだという。大変なリスクを追う経営判断だったろう。ゲストもその時代に思いを馳せるような表情を見せていた。

研究所の初代所長は「酒の神様」と称される野白金一。後に彼の成果のひとつとなる「熊本酵母」生みの親だ。蔵付き酵母から分離・培養されたもので、華やかな吟醸香と穏やかな酸をうむことが特長で、吟醸酒ブームの火付け役になった。現在では日本醸造協会の「きょうかい9号酵母」としても採用されていて、今も瑞鷹では主要酵母として使い続けている。一連の話を聞き、ゲストは自分たちが愛飲している吟醸酒の背景にある酵母の由縁に興味深々。

様々な瑞鷹を試飲するなかで、吉村社長が口にした「YK35」という言葉にゲストはおや?という表情をしてそれは何かと質問している。
これの“答え”は、「Y:酒米の山田錦 K:熊本酵母 35:精米歩合」。なるほどそうか!と思わず膝を打ったのも名シーン。

当日は、通りをはさんだ瑞鷹酒蔵資料館にも案内された。地区の景観指定重要建造物にも指定される館内は2階構造になっていて、昔ながらの酒造りに使われた木桶や麹蓋などの道具類に加え、創業から大正や昭和を経て現在に至る瑞鷹の歴史を伝える膨大な写真や資料が展示されている。ゲストはひとつひとつ足を止めてみていたが、なかでも清酒造りを始めた初代・吉村太八が書き残した「家訓」の志に深く共感していた。

2016年に発生した熊本大地震では、社屋をはじめ複数の歴史的な蔵の多くが大きな被害を受けたという。記録写真にゲストは胸を痛めていたが、全国から寄せられた支援の声に励まされて再建を成し遂げ、今もこの地で酒造りを続けられていることへの吉村社長の感謝の言葉を聞き感動をあらわに。
帰り際には、アメリカへの輸出も管掌する吉村謙太郎副社長が駆けつけて来てご挨拶、「ぜひカリフォルニアで会いましょう!」と。
創業来の家訓や伝統を守りながらも、必要な革新は恐れず取り入れる。熊本の風土に根ざした香り高くふくらみのある地酒を造り続けるー吉村社長の志と、屋上から見える阿蘇山の雄大な遠景とがシンクロするように感じられた。

日本の酒類文化の縮図

一週間にわたって寝食を共にして旅をしたが、日を重ねるにつれて彼らは九州の酒文化の多様性に驚き、また造り手の情熱に対して深い敬意を示した。
本稿では日本酒に絞って紹介したが、他にも鹿児島県にも立ち寄った。それは九州には日本酒の他にも焼酎、ビール、ワイン、ウイスキー——多様な酒の醸造所が揃っているため。

まさに「日本の酒類文化の縮図」といえるが、その一端に触れた内容については後編でご紹介しようと思う。

ライター:
岸原文顕/ ソムリエ、HBAカクテルアドバイザー。日本酒をはじめ世界の酒類文化をこよなく愛する。世界3大ビールブランドや洋酒類のブランドマネジャーを歴任、
京都のクラフト醸造所経営など、国内外での酒類事業経験32年。日本発の志ある酒類の世界展開を支援。BOONE合同会社代表。全国通訳案内士。東京在住。

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