「女性が作る女性のためのお酒」って? 日本酒デビューにぴったりな「ARUSHIROI」開発秘話をインタビュー
男性社会のイメージがある日本酒業界だが、近年では女性の活躍もめざましい。そんななか、「女性が作る女性のための純米吟醸酒」と銘打って売り出されているのが、「宇都宮酒造」が製造する「ARUSHIROI」。女性が中心となって手掛けたお酒の開発秘話をインタビューした。

「女性が作る女性のための純米吟醸酒」。日本酒について知見を広めようと、日夜いろいろな情報にアクセスしている筆者。あるとき、こんな気になる文言を見つけた。漠然と「日本酒業界は男性社会」というイメージがあったので、思わず目に留まったのだ。
この「ARUSHIROI」という不思議な名前の日本酒は、栃木県宇都宮市の「宇都宮酒造」が製造している。はたして、女性のためのお酒とは一体どんな味がするのだろうか。商品開発を女性が手掛けることになった、いきさつも気になる。好奇心を刺激された筆者は、実際に宇都宮酒造を訪れてみることにした。
INDEX
「宇都宮酒造」のお酒は井戸水が味の決め手
宇都宮酒造は1871年(明治4年)に創業し、150年以上の歴史を持つ酒蔵だ。当初は「今井酒造店」として営業していたが、戦後に栃木県内のいくつかの酒造を合併して、現在の形となった。
代表の銘柄は「四季桜」。すぐ近くに専用の契約圃場もあり、酒米「五百万石」が栽培されている。先代の友人たちが立ち上げた「柳田酒米研究会」が、全面協力してくれているそうだ。また、味の決め手となる水は、日光の雪解け水を源とする井戸水。辛口の日本酒にも、甘みやうまみを引き出してくれるという。

宇都宮酒造の酒蔵の中にある井戸。ここから井戸水を汲み上げている
敷地内には、大きな精米機や巨大な冷蔵倉庫もある。長年受け継がれた醸造技術の高さはもちろん、精米から保管までを自社で手掛けられるのも、宇都宮酒造の強みだ。
「ARUSHIROI」開発のきっかけは2人の女性の出会い

今井亜紀さんと今井昌平さん
そんな「宇都宮酒造」の新たな看板商品である「ARUSHIROI」。開発を手掛けたのは、管理栄養士の資格をもつ今井亜紀さん。夫で宇都宮酒造専務取締役の今井昌平さんも一緒にお話を伺った。
まず、なぜ亜紀さんが新たな日本酒の開発を手掛けることになったのか。それは、県内で「momo farm」という農園を営む、西岡智子さんとの出会いがきっかけだったという。
亜紀さん
「お付き合いのある酒屋さんに、『酒米を作りたいという人がいる』と紹介されたのが最初の出会いです。実際に話をしてみたら、私と同じ大学出身だということがわかって、一気に距離が縮まりました。しかも同学年だったので、『もしかしたら、キャンパスですれ違っていたかもね』なんて言い合って。そのとき智ちゃん(西岡さん)は『お酒の好きな大叔父に、自分のお米で作ったお酒を飲んでもらいたい』と話していました。まずは、うちのお酒に使う酒米の一部だけを作ってもらうことにしたんですが、一年目で『特等』を取るというミラクルを起こしたんです」
「特等」とは酒米の品質を示す等級のこと。「特上」から「三等」まであり、「特等」は上から二番目だ。
昌平さん
「酒米は、一般的な飯米と比べても栽培が難しいんです。米作りと真剣に向き合わないと、なかなか『特等』を取ることはできないですよ」
亜紀さん
「だからこそ、今度は智ちゃんのお米だけでお酒を作りたいと思って。夫に相談してみたら、すぐにいい返事をもらえました」
新たな日本酒開発の提案をした亜紀さんだったが、はじめは自分自身が手掛けることになるとは夢にも思っていなかったという。
亜紀さん
「あとはプロにお任せしようと思っていたのに、夫に『自分で責任を持ってやってみて』と言われて(笑)。家業を手伝ってはいましたが、お酒作りに関してはまったくの初心者だったので、ものすごいプレッシャーでした。お米を磨く精米歩合をどれくらいにするのか、無数にある酵母の中からどの種類を使うのか、味を左右するすべてを自分で決めなくてはならなくて。いろいろなパターンを提案しましたが、夫には何度もダメ出しされましたね(笑)」
昌平さん
「すでに出回っている日本酒と同じようなものを作ってもしょうがないですから(笑)。最終的には、これまでになかった味わいのお酒が出来上がったと思います」
デザインとネーミングを手掛けた、もう1人の女性
初めてのお酒作りに大きなプレッシャーを感じながらも、ついに「ARUSHIROI」を完成させた亜紀さん。最初の一口を飲んだとき、どんなことを思ったのか。
亜紀さん
「とにかく『おいしい!』ということだけでした。味を見ながら3年間寝かせていたこともあって、開発を始めてから完成まで4、5年かかっているんです。その間、ずっと逃げ出したい気持ちだったので、ようやく一息つけましたね(笑)。もちろん、出来上がったらそれで終わりではないので、どれだけの人に受け入れてもらえるか気がかりではありましたが、やっぱり形になったうれしさと、おいしく仕上がったことへの満足感が一番大きかったです」
亜紀さんの努力の結晶である「ARUSHIROI」。繊細なデザインのラベルと、耳に残る神秘的な名前も特徴的だが、これらを手掛けたのは栃木県在住のクリエイター、RARI YOSHIOさんという女性だ。

RARI YOSHIOさんがデザインした「ARUSHIROI」のラベル
亜紀さん
「RARIさんとは、智ちゃんの紹介で知り合いました。ラベルのデザインと商品名の考案をお願いしてみたら『ずっとやってみたかった』と快諾してくれて。RARIさんが書いてくれた植物のデザインは、私も智ちゃんも一目惚れしてすぐに決まりました。でも、名前については難航していたんです。そんなときRARIさんが、下鴨神社で出会った『神游の庭』という本の中に『アルシロイ 月神の応化也』という言葉を見つけて。音の響きが合いそうだからと提案してくれました。少し覚えにくいかもしれないけど、心に残る響きだねと、3人とも気に入って『ARUSHIROI』に決まったんです。意味がある言葉ではないんですが、だからこそ手に取った方が自由に想像してくれたらいいのかなと思っています」
味へのこだわりは「食事に合って、しっぽり飲めること」
開発を手掛けたチームリーダーのような亜紀さんと、おいしいお酒の原料となる酒米を作る西岡さん、そしてラベルのデザインとネーミングを担当したRARIさん。3人の女性が中心となって作られたお酒だからこそ、「女性が作る女性のための純米吟醸酒」として売り出しているそう。
ただ「ARUSHIROI」の味わいは「女性向けの日本酒」と聞いて想像する、甘口で香り高い ものとはかなり異なっている。それには、自身もお酒が大好きだという亜紀さんならではのこだわりがあった。
亜紀さん
「甘口で華やかな香りのお酒もおいしいですが、食事に合わせるのが難しかったり、意外と飲み疲れてしまったりする気がして。しっぽりと飲んでもらうためにも、すっきりした味わいで、どんな食べ物とも相性がいいお酒を作りたかったんです。だから、味の方向性を決める酵母も、酸味があって香りが派手すぎないものを選びました」

宇都宮酒造の製麹室。徹底的な温度管理のもと麹が作られている
また、「ARUSHIROI」はアルコール度数も17度と決して低くない。それは差し水をせず、原酒のまま提供しているからだ。
亜紀さん
「智ちゃんとRARIさんも一緒に、いくつか違う度数で飲み比べをしたんですけど、3人とも呑兵衛なので『原酒のほうが味もしっかりしていておいしいね』と。それに、智ちゃんが作るお米のおいしさも、原酒のままのほうがしっかり感じられましたしね」
そんな味わいへのこだわりは、もともとターゲットにしていた女性だけでなく、多くの人から受け入れられているそうだ。
亜紀さん
「原酒とはいえ、3年間しっかり寝かせているので味に丸みがあるんです。だから、アルコール度数が高いお酒に抵抗がある女性にも、おいしいと言っていただけます。それに、日本酒を飲み慣れている人でも満足できる味わいなので、何度もリピートして買いにきてくれる男性もいるんですよ」
昌平さん
「最初は女性向けということで、四合瓶と300ml瓶のラインナップにして、一升瓶は作ってなかったんです。でも、男性を中心に『もっと量を飲みたい』という声もあったし、飲食店さんからも問い合わせをいただいて、一升瓶の生産も始めました」
そして「ARUSHIROI」のおいしさは国境を越え、フランスやイタリアなど海外の賞も多く受賞している。
亜紀さん
「昔ながらの酵母を使っているし、海外の人は香り高い日本酒のほうが好きなんじゃないかと思っていたので、正直驚きました。でもたしかに、酸味のあるすっきりとした味わいが洋風の食事ともよく合うんですよ。少しワインと似ているのかもしれませんね。手軽に、生ハムとチーズや、ナッツと合わせるだけでもおいしく飲めますよ」
お酒作りには人と人とのつながりが大切
実は筆者は、男性社会の日本酒業界で、女性を中心に商品開発をするには、周囲の反発を受けたり、協力が得られなかったり、何かしら障壁があるのではないかと思っていた。
でも、亜紀さんの話を聞いてみて、それがまったくの見当違いだったとわかった。むしろ「ARUSHIROI」は、宇都宮酒造の従業員の方々をはじめ、多くの人たちの協力や応援を受けて、人と人とのつながりのなかで育まれたお酒だった。
昌平さんが、亜紀さんについて「何かをやろうとすると、周りに人が集まってきちゃうんですよ」と話していたことも印象に残っている。一方の亜紀さんも、昌平さんからの後押しがなければ「ARUSHIROI」は生まれていなかったと語る。
亜紀さん
「私は行動力があるほうではないので、夫の一言がなければ自分で新しい商品を手掛けるなんて考えもしなかったと思います。開発を始めてからも、夫はいろいろなアドバイスをくれましたし、智ちゃんやRARIさん、そしてうちの従業員のみんなも、たくさんの人たちの協力があってこそ、完成させることができました。やっぱりお酒作りには、人と人とのつながりが、とても大切だと思います」
嫁ぐという言い方は古いかもしれないが、昌平さんとの結婚を機に、酒蔵という家業の一員となった亜紀さん。伝統的な仕事を受け継ぐことに、プレッシャーはなかったのだろうか。
亜紀さん
「実は夫に『会社のことには関わらなくてもいいよ』と言われていたんです。もし、はじめから家業を支えるように言われていたら、プレッシャーで逃げ出していたかもしれません(笑)。でも、少しずつ手伝っていくうちに、だんだんと関わる範囲が増えていって。今ではこんな立場になってしまいました(笑)」
亜紀さんの自然体で飾らないキャラクターは、地元の日本酒業界をはじめ多くの人たちから愛されているという。
昌平さん
「亜紀は僕よりお酒が強いし、日本酒だけじゃなくてビールも好きなんです。同業者やお客さんたちとの飲み会では、周りに何本もビール瓶が集まっていますよ」
亜紀さん
「最初の乾杯の残りがあると、片付け要員として重宝されるんです(笑)。飲むのは大好きなので、うれしいんですけどね。周りの人にはよく、『お酒好きが自分の飲みたいお酒を作って、呑兵衛の夢を叶えたね』と言ってもらえます」
「ARUSHIROI」は日本酒デビューにもおすすめ

ARUSHIROI 720ml:¥1870(税込)
「女性が作る女性のための純米吟醸酒」は、実際には1人の女性を中心に集まった、多くの人たちのつながりによって生まれたお酒だった。
取材に訪れたとき、宇都宮酒造の方々はすれ違うたびに笑顔で挨拶をしてくれて、ほっこりとした気持ちになれた。亜紀さんと昌平さんがお互いのことを楽しそうに話す姿も素敵で、こんな温かい空気があふれる酒蔵で作られるからこそ、おいしい日本酒が育つのではないかと思った。
帰宅後、さっそく「ARUSHIROI」を飲んでみると、一口目から「おいしい!」と思わず声が出てしまった。しっかりとお米の味を感じるし、すっきりとした飲み口ながら自然な甘みもある。しかも、度数が高いのにアルコール特有の嫌なクセやツンとくる感じが一切ないのだ。
おすすめされた、生ハムとチーズに合わせて飲んでみると、さらにおいしさが際立つ。するすると飲んでしまって、気をつけないと二合瓶はすぐに空になってしまいそうだった。
数日後、友人宅で開かれた「手巻き寿司女子会」に持っていったところ大好評で、もともと筆者が飲み進めていたせいもあるが、一瞬でなくなってしまった。
日本酒には、悪酔いや二日酔いをしやすいというイメージもあり、つい身構えてしまうけれど、「ARUSHIROI」は初心者でも気軽に楽しめるお酒だと思う。亜紀さんと昌平さんも「成人してから最初に飲む日本酒にしてほしい」と言っていたのだが、さわやかで丸みのある味わいは、老若男女問わず日本酒デビューに最適ではないだろうか。もちろん飲み過ぎには注意しつつ、日本酒はハードルが高いと感じている人や苦手意識を持っている人にも、ぜひ試してみてほしい。
筆者は、すぐに飲みきってしまったので、また自宅で楽しむために一本仕入れるつもりだ。そして、次の女子会の手土産にも「ARUSHIROI」を選ぼうと思っている。
ライター:近藤世菜
東京在住のフリーライター。お米の味わいがいきた甘めの純米酒が好き。現在、日本酒の知識を日々勉強中。
X:@sena_kondo

宇都宮酒造 株式会社
- 創業
- 1871年
- 代表銘柄
- 四季桜
- 住所
- 栃木県宇都宮市柳田町248Googlemapで開く
- TEL
- 028-661-0880
- 営業時間
- 9:00〜12:00/13:00〜17:00
- 定休日
- 土・日曜・祝日 ※土曜は4〜10月定休日